2002/08/31
匿名掲示板への期待の話2
続きです。
私が思いつく理由とは、自らが判断することに対する逃避です。ある発言に対して、それが真実であるかそうでないか、またその内容が良いものか悪いものかを判断するには、その発言内容に対する知識が必要です。その上、判断の結果には自らが責任を取らなければなりませんし、場合によっては裏づけも取らなければなりません。ところが、このような真摯な態度というのは非常に面倒です。そこで、発言者の人格や私生活といったもので発言の内容を判断することで、発言の内容を吟味するという面倒くさいことを避けようとするのです。「だれだれの発言だから」と言って全て信じたり信じなかったりというのは非常に楽な行為なのですね。そのため、自ら思考するのがおっくうな人は発言内容ではなく、発言者を元に判断するわけです。ようするに一種の権威主義です。では、匿名掲示板はどうでしょうか。もちろん匿名掲示板にもコテハンや捨てハンといった個人を識別できる項目も存在しますが、発言者の大多数はいわゆる「名無し」であり、誰の発言かを明確に区別することができません。そのため、相手の人格や私生活を元に判断することができません。結果として発言の内容を元に判断することになります。「誰が」ではなく「何が」発言されたかを見るようになるということです。つまり、匿名掲示板が盛況になればなるほど、発言者というものを考える余地が減り、内容に対して考えるようになっていくという、私の主張に合致する方向に時代が流れると考えられます。この流れが続けば、「てんてんの発言だから」という馬鹿げた理由で嘘とみなしたりする行為そのものが失笑を買うようになるでしょう。
しかし、相変わらず匿名掲示板では、私の発言がリンクされ、「てんてんの発言だから信じない」というような発言がまかり通っています。このような発言そのものがおかしな行為であり、匿名掲示板の性質と相反するものであるということが一般に理解されるようなレベルに達するには、あとどのくらいの期間が必要なのでしょうかね。


 

Topへ