2002/09/01
論理的思考の話
All About Japanのメールマガジンに私の名前が出ていました。引用するなら、事前に連絡してくれるとありがたかったのですが。
さて、そこでも書かれていましたが、私は自分の論理的思考に対して、絶対の自信を持っています。私の論理的思考能力は、天性のものもあるかも知れませんが、ほとんどが後天的に誕生したものです。それを鍛えたのは数え切れないほどの読書です。暇があれば論理パズルを解いていたことや、シミュレーションゲームにはまっていたこと、小さい頃から親に麻雀をしこまれていたことなども上げられるかも知れません。また、我が家が比較的論理的思考を要求し易い家庭環境だったこともあります。なにせ、親も姉も医者・歯医者という理系一家なので、親を説得するのに、泣いたり怒ったりするのが(患者さん相手に慣れているので)通用せず、論理的に説明するほうが遥かに易しかったのです。もっとも、私が論理的思考を行わなければならなかったという、必要が発明を生んだような事態も存在していなかったわけではありません。これはアメリカから日本に帰ってきたときもきっかけの一つではありますが、それより後に、もっと根本的に論理的思考力が要求される事態になったからです。というのも、私はある事件をきっかけに、感情の発露の仕方を忘れたことがあるのです。泣く、笑う、怒るといった、赤ん坊でもできるような当たり前な感情表現ができなくなったのです。これは結構厳しいことで、これらを取り戻すために、私は論理的に笑い、論理的に泣く必要がありました。つまり、人はこんな状況のときに笑うとか、こんな状況のときに泣くといった、状況を論理的に整理し、その状況に陥ったときは、笑ったり泣いたりするような訓練をしたということです(これに関しては「美人の基準を他人に聞いて判定した」とかつて書いたのと同じ話)。つまり、論理的思考をもって感情を表現したわけです。
今では、まったく意識せずにこれらの一連の行動を取ることができますが、たまに笑うべきではないところで笑ってしまったり、泣くべきところで泣けなかったりすることがあるようです。
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