2002/05/31
梅雨の語源の話2
続きです。
さらに当時は「ながせ(流せ。ながしとも言う)」という別名もあり、例えば「梅雨」を「さみだれ」とか「ながせ」とか読むようになってもおかしくは無かったはずで、「つゆ」の入りこむ余地はどこにもありません。よって「梅雨」が「つゆ」と読まれるようになるためには「つゆ」という言葉が先にあり、これに後に出来た「梅雨」が当てられるしかありません。そこで私は「つゆ」が三河地方、つまり元の徳川の領土の方言だったのではないかと考えます。一方「黴雨」を「梅雨」なんて置きかえるのは、恐らく朝廷で京都言葉でしょう。江戸時代になって京都から来た「梅雨」を江戸では「つゆ」という方言で呼んだと考えれば、日本歳時記で登場したという理屈に納得がいきます。さて、「つゆ」の語源ですが、これも諸説あります。まずは木の葉などに降りる「露」から来ている説というのがありますが、これはこの季節だけではなく、可能性としては弱いでしょう。次に梅の実が熟して潰れることから「潰ゆ(ついゆ)」が変形した説。これは「梅雨」を使うために強引に梅に関連付けただけであり、根拠としては薄いと思います。おまけにこの時期の梅の実は潰れるどころか青々と実っています。「汁」説も梅絡みで、梅干を浸けるとこの頃に汁(梅酢)が出るから、ということから外していいでしょう。そうすると一番可能性が高いのは食べ物にカビが生えたり腐ったりしてすぐ駄目になる、つまり「潰える(ついえる)」の古語の「潰ゆ(ついゆ)」説ですが、これも問題があります。それは古語だということです。古語の変形なら、その歴史はもっと古くても良いはずですが、何度も書くように「つゆ」がメジャーになったのは江戸時代以降のことなのです。
私は新説として三河地方発祥説を唱えたので、ついでにこちらにも新説として「長雨」の変形説を唱えたいと思います。「長雨」の音読みは「ちょうう」になります。この「ちょうう」が縮まって「ちょう」「つゆ」と変化したのではないかという説です。いかがでしょうか。
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