2002/05/30
梅雨の語源の話1
さて、5月もそろそろ終わりになり、もうすぐ梅雨がやってきます。そういれば梅雨はどうして梅の雨なのでしょう。これがなかなか複雑で、しかも定説が複数あります。
「梅雨」はもともと「つゆ」とは読まなかったようです。時系列から行くと、一番最初に「梅雨」という漢字が作られました。これは中国の明の時代のことで、発音としてはムイユイ、ムイユウ、メイユイ、メイユウとか、そんな発音だったようです。これは中国の長江(揚子江)のあたりでは、梅の実が熟れる時期に降る長雨だったからと言われてます。しかし、これが日本で「つゆ」に変わったという説には、かなり無理があります。「つゆ」という言葉の誕生は江戸時代以降らしく、文献として最古の「つゆ」は江戸時代の日本歳時記の中の「これを梅雨(つゆ)となづく」という言葉であり、それ以前にはこの「つゆ」という表記はありませんでした。この間に中国では「梅雨」という言葉は使われなくなっており、「黴雨」という言葉に変わっていました。「黴雨」というのは読んで字の如く「カビの雨」です。これの日本での発音はバイウとなります。よって、中国から来た「梅雨」はどこかで消滅(もしくはそもそも日本に来なかった)していたはずです。以上のことから漢字表記の「梅雨」は「黴雨」が流石にカビじゃあ嫌だということで別の字を当てることになり、ちょうどその季節は梅の実がなっていることから同発音の「梅雨」が採用された、つまり元の「梅雨」は偶然の一致に過ぎないだろうというのが、正しい流れではないかと推測します。さて、そうすると判らないのは何故「梅雨」を「つゆ」と読むようになったかです。この説において重要なのは「黴雨」の音である「バイウ」が「梅雨」に変化したという点であり、これを「つゆ」と読む道理はどこにも存在しません。そもそも、たしかに日本歳時記の中では「つゆ」が表記されていますが、実際にはこの言い方は一般的ではありません。松雄芭蕉の奥の細道の中に「五月雨を集めて早し最上川」という有名な句がありますが、この「五月雨」こそが今の「梅雨」なのです。
続きます。
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