2002/05/05
ビリヤードの話2
続きです。
いつものようにロサ会館で自主練習をしていたある日、ふと、自分は一体何をしているのだろう、と思ってしまいました。自分のしている一人練習が虚しく、ひどくつまらなく感じてしまったのです。勝つことがそれほど大事なことなのでしょうか?そこまでして勝って、得られるものは何なのでしょう?K君が居ない一人練習にどんな意味があるのでしょう?自問自答して、私は勝つことよりも楽しむことだと知りました。相手の技を楽しみ、相手の腕を楽しみ、その上で自分の腕を楽しむ。ビリヤードは自分で遊ぶものではなく、相手と楽しむものだということに。そんな当たり前のことに気づいたのです。それからは姑息なセーフティ狙いを止め、変な心理戦も止め、かといって決して手を抜くわけでもなく、相手も楽しめるような、そんなビリヤードを目指しました。相手の残したセーフティは自分にとって格好の練習機会と捉え、楽しみながらするビリヤード。笑いながらするビリヤード。そんなビリヤードを目指してしばらくして、気づいたら勝率は5割になっていました。もちろん、私達が使ったビリヤード場が安いビリヤード場で、ラシャは破けたままだったり、キューも真っ直ぐではなかったりと酷かったし、ボールも傷だらけでところどころ欠けたままという酷い環境だったため、高等テクニックを駆使しても運に左右される要素が大きくてK君のテクニックが発揮し切れなかったこともあるかも知れません。ですが、私の勝率の上昇は自分のビリヤード感の変化によるものだと思っています。K君という先生を素直に手本として見ることができたために私の腕は上がったのだ、と。K君と私の勝負は、私達が高校を卒業してもしばらくの間、続きました。お互いが大学に入り(二人とも二浪していた)、離れ離れになるまで、ビリヤードブームが去り、本当に好きな人がひっそりと楽しむようになっても、ずっと続いていました。そして、私は大学生になりました。
続きます。
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