2002/05/04
ビリヤードの話1
私がビリヤードにどっぷりと浸かっていたのは、ハスラー2が公開された高校の頃ですから、16年以上も前の話になります。
きっかけは流行していたからなのですが、はまった理由は、たまたま私の友人にK君という、極めてビリヤードのうまい友人がいたからでした(彼は四つ球のころからのプレーヤーだった)。私は彼と遊ぶと、とにかくこてんぱんに負けていました。当時の勝率は2割程度でした。そんなわけで高校の頃は学校帰りに彼と毎日ビリヤード場に行ってビリヤードをしていました。一年くらいは、学校帰りにビリヤード場に寄らない日がないというくらい、ビリヤードをしていました。高校時代はお金もそんなにはありませんから、土曜に印刷所や出版でアルバイトをしてお金を稼ぎ、昼飯代として渡されていた500円もビリヤードにつぎ込みました。K君(彼はさる会社の社長の息子なのでそれなりにお金があった)に奢ってもらうこともありました。K君と遊び終わり、別れたその足で池袋のロサ会館によって一人練習もしました。しばらくやっているうちに、K君にも苦手があることがわかりました。彼は左手で打つときに曲げることができなくなり、セーフティ(直接球が狙えずにクッションなどで間接的に的球を狙わなければならない状態にすること)を続けると、苛々してミスするという二点です。そこで私はK君にフリーで打たせないことを徹底して練習しました。とにかく自分で球を落とせないときにはセーフティに持っていき、どうしてもセーフティにできないなら左手でしか打てない位置に球を持っていく、さらに心理戦として彼の打つ方向の先にチョーク(キューの先に塗る滑り止め)をちょっとだけずらして置いて、ミスショットを狙うなんて真似もしていました(実際にやってみるとわかるが、特にクッション処理のときにこれをやられると打ちづらい)。これらの練習の甲斐があったのか、数ヶ月で私は4割程度の勝率を得られるようになりました。
続きます。
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