2001/12/26
平和ボケの話2
続きです。
今回の事件ではロケット弾による攻撃や銃撃まで行われ、負傷者まで発生しました。それでもなお鹿児島の学生はこちらから攻撃するな、相手に殴られろ、殺されろと、のたまうのでしょうか。それが平和というものだと思っているのでしょうか。たとえ相手に侵略され、拉致され、基本的人権を奪われてもそれが平和だというのでしょうか。本当に戦争にしたくないのであれば、本当に平和を望むのであれば、重要なのは戦争をさせないことであり、その方法とは決してただ平和と唱えて相手に一方的に殴らせることではありません。実際、一時期の自衛隊ではこのような論理がはびこっており、例え相手に発砲されようとロケット弾で攻撃されようと一切反撃せずに撃たれっぱなしになれ、と教えていたそうです。そうすれば少なくとも世論は味方してくれる、と。その結果が不審船の大胆な行動を引き起こし、ついに拉致事件まで引き起こしたため、この論理は現在は消滅しています。なぜなら、そうやって一方的に殴らせれば相手はますます大胆になるだけだということが結果的に明らかになったからです。これらの大胆さがエスカレートすればそれは最終的には侵略戦争まで発展してしまうでしょう。今回のように警告を無視するような場合、それをみすみす逃してしまうことは相手に侵略させる口実を作らせるだけであり、むしろ断固たる措置を取るほうが戦争行為そのものを抑止させる働きを持てるのです。たとえば中国が日本の軍事力強化に対して懸念を表明するのも、本質的には現実的な侵略問題よりもむしろ大胆にさせないため、抑止のためと考えられます。
最後に、戦争論からもう一つ引用しておきましょう。「戦争行為そのものに内包される粗野な要素を嫌悪するあまり、戦闘そのものの本質を無視しようとするのは、無益どころか本末転倒ですらある」。くだんの学生達は基本的人権を守るための戦闘行為すら否定して、何がしたいのでしょう。侵略戦争を起こさせたいのでしょうか。


 

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