2001/04/25
てらゆかの話2
昨日の続きです。TERRAZIさんが、自分が悪(テーブルトークで何度も言っていますがこの世に絶対的な善悪基準は存在しません。所詮善悪など、多数決、パワーゲームに過ぎません。多数意見が善であり少数意見が悪なだけです)と思わなかった証拠がそのタイトルです。TERRAZIと愉快な「仲間達」。「仲間達」なのです。
悪に仲間は不要です。オフは別としてネット上では仲間を名乗った時点でそこに馴れ合いや譲り合い、共同意識ができてしまいます。下手をすると自分自身が多数派という善になってしまうこともあります。ですから、むしろTERRAZIと愉快な悪魔達とかTERRAZIと愉快な下僕達のような強烈なサイト名にして、大魔王TERRAZI対勇者という構造を作り上げたほうがはるかに健全で強力なコンテンツになったと思います。そしてTERRAZIさんはその悪名の高さ故に、自覚さえあれば、それを実現できる立場にあったのです。でも、TERRAZIさんは最後までその自覚がない人でした。たとえ私がそう述べても恐らく「何故少数意見が悪なんだ?」と聞いてくるでしょう。それがTERRAZIさんの限界であり、またてらゆかの限界でもありました。今回の閉鎖はそういう意味で起こるべくして起こった事態でしょう。でも、もしかするとTERRAZIさんは本当は全てをわかっていたのかもしれません。自ら少数意見という悪を振りかざし、自らを打ち倒す勇者を探していたのかもしれません。感情論はわかるが、それ以外に戦うための武器はないのか、そう我々に語っていたのかも知れません。最後の激論では感情論以外の手段で大魔王TERRAZIは倒される寸前まで追いこまれていました。残念ながらパートナーの離反という不測の事態により最終決着をつけることはできませんでしたが、大魔王TERRAZIはそれに満足しているのでしょうか。それは誰にもわかりません。だっててらゆかはもう存在しないんですから。
最後に。ネットは開くのも閉じるのも自由ですが、再開するのもまた自由です。もっとも、たとえ再開しても「仲間達」を名乗っている間は私は行く気がしませんが。
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