2001/03/02
テーブルトークRPGの話2
昨日の続きです。
サークルMとの出会いは衝撃的でした。そのゲームサークルはそれがいいのか悪いのかは別として、本当にロールプレイというものを主体としており、リプレイ小説を起こせるくらいのプレイをプレイヤーに求めるという、その後数年の武者修行期間でも見ることの無い斬新なスタイルのサークルでした。二回目で一番簡単な戦士をプレイすることになり、何をすべきなのかというのは見えていました(ようは幼稚園の頃にやったヒーローごっこにルールを加えたものだ、ということがわかりましたから)ので、それなりのプレイをすることができたと思います(どんなシナリオだったかは残念ながらもう覚えていません)。こうしてこのサークルで三年ほど月に一度のセッションに参加させてもらっていましたが、国内ではまだまだテーブルトークRPG自体、ほとんど知られていませんでした。私が中学生になったときに、やっと国産初のファンタジーRPG、ローズトゥロードが発売されます。もっとも、このゲーム自体は純国産品というよりはSPIという海外のメーカの出していたシミュレーションRPGであるドラゴンクエストのまんまパクリゲームでしたため、サークルMでは評判が悪かったようです。それから一年も経つと日本でもテーブルトークRPGというものが(これは間違いなくドルアーガの塔というコンピュータゲームのせいだと思いますが経験値を積んで能力値を上げて強くなるゲームという勘違いがあったにしても)ある程度認知されて来ました。この頃の私は片っ端からサークルを巡り歩き、ゲームマスターとしての経験値を積んでいました。たしかトラベラーの日本語版が出たのがこの頃だったと思います。それから一年後、高校になったときには私が初めてプレイしたあのダンジョンズ&ドラゴンズの日本語版が発売され、テーブルトークRPGは一気にブームへと向かいます。しかし、その一年後、このブームに水をさすような大事件が日本のテーブルトークRPG界を襲います。
明日へ続きます。


 

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