2001/01/01
一休の話
新世紀明けましておめでとうございます。さて、100年に一度しか言えない挨拶でテーブルトークを始めましょうか。
ちなみに旧暦では正月から春が始まります。今とはちょうど一ヶ月ずれていますので、今の暦に合わせると、だいたい2〜4月が春で5〜7月が夏、8〜10月が秋で11〜1月が冬ということになります。そういうわけでテーブルトークも旧暦の1月1日に明けまして、とやりたかったのですが、残念ながら新世紀と絡むとどうしても和暦を使えなくなりますので、凡庸に今日から明けましてです。せっかく今日からお正月なので、一休さんの話をしましょう。なんで唐突に一休さんなのかというと、お正月といえば一休さん、一休さんといえばお正月というくらいこの人とお正月は切り離せないから。なんせ私が知る限り、お正月に頭蓋骨を棒に刺して町を練り歩いた人はこの人くらいでしょう。一休(宗純)はなぜそんなことをしたかというと、どんなに金を儲けようと権力を得ようと名誉を得ようと、結局最後は骸骨となる、つまりこれが世の無常を表わしている。だからこの世でもっともおめでたいものだというとんでもない論法から行った奇行です。この人、いわゆるとんち話の一休さんとはまったく異なる人物ですが、実際の伝記を読むと大人がうならさせられるくらい常軌を逸したとんちな人です。一度読んでみてください。
そもそもこの一休という僧号をもらった理由も凄いんですよ。ちょっと書いてしまいますが、一休は自分が偉い僧になりたくて一所懸命に修行したのですが、なかなか悟りが開けない。そこで、何故自分が悟りを開けないのかを深く考え出すわけです。そして気づいたのが、自分が偉い僧になろうという拘りを持っている間は悟りが開けないという自己矛盾。自分が偉い僧になろうと思えば思うほど悟りは遠くなり、自分は偉い僧になれない。そのことがわかった一休は悩んだ挙句、この問題を棚上げします。偉くなるための修行もとりあえず一休みして一人の人間として生きてみよう、と。この瞬間が彼が悟りを開いた瞬間であり、そのためこの一休みが一休という僧号になったという・・・。やっぱり凄いよこの人。


 

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