2000/08/25
太公望の話
前回、名前だけ出てきましたね。今回は私がもっとも嫌いな男、太公望こと呂尚の話です。この人物について封神演義を筆頭とした伝記ではなくきちんと知っている人が何人いるかは知りませんが、知れば知るほど最低の人間です。
彼は自分の部下に対して「質問して、返答が気にいらないか」「追いつめて、対応が気に入らないか」「わざと裏切りを仕組み、裏切らないか」「相手の人格を攻撃し、切れないか」「金庫番をさせて、金を盗まないか」「女を与えて、溺れないか」「困難な任務を与えて、逃げないか」「酒を飲ませて、飲まれないか」をいちいちチェックします。絶対上司にはしたくない人です。呂尚の功績として法治の基礎を築いたと言われます。彼が斉に封じられたとき、礼を軽く、法を重んじる方策をとったからです。当然中には反対する人もいるわけで、その中に中国でも著名な賢者が二人いました。その賢者を呂尚は呼びつけ、自分の部下になれと迫ります。その二人は拒否しました。呂尚はこの二人をさくっと殺しました。さすがに著名な賢者だったので周公旦(孔子の師匠)が何故殺したのか問い詰めると呂尚は、優秀な人材でも自分の部下にならない奴を生かしておけば、よその国に行って働いてしまったりするかもしれないから殺したというのです。自分の部下にならなかったら殺してもいいなんてのを認めている法によって治めるのも法治と言うのでしょうか。当時の斉の法律までは調べられませんでしたが、上の話を認めるからには恐らくこんな法だったんじゃないですかね。「私の命令に逆らったら死刑」「私を裏切ったら死刑」「私の機嫌を損ねたら死刑」。どこかの国の独裁者のようです。そういうわけで、彼のエピソードにはどこにでもありがちな「心温まる」というものが何一つありません。ひたすら恐怖によって人を支配した政治家、それが太公望呂尚なのです。
なお、今回の話は記憶で書いているため、細部が違ってるかもしれません。資料を探そうとはしたのですが、ものすごい数のやおいがヒットして挫折しました。やれやれ、呂尚も大変だねぇ。


 

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