2000/08/23
尺度の話
ちょいとある人から「自分の尺度でしか物事を計れないのか」ということを書かれました。私の返事は「もちろん、そのとおりです」。私は他人の尺度がわかるなんて言うほど己惚れても我を見失ってもいません。
人間は他人と心を共有できるわけではありません。人間にできることはあくまで、自分の心で他人の心を想像するだけであり、その本人が本当は何を考えているかわかる人なんていやしません。他人の心がわからない以上、他人の尺度もわかるわけがありません。もちろん、わかった気になることはできます。しかしそれは実は自分の尺度で他人の尺度を想像しているだけのことであり、結局は自分の尺度の範疇に過ぎないのです。自分の尺度で他人の尺度を計り、それをもって他人の尺度で物事を計ったなどというのは単なる己惚れか思いあがりです。ただし、ある程度広域的な共通尺度というものは存在します。それはエチケット、道徳、公共的福祉、タブーといったような言葉で表わされるものです。もちろん、この尺度も国によって変わるものですし、万人共通の尺度というものが存在するわけではありません。たとえば日本では食べ物を食べる際に音を立てることは必ずしもタブーではありません(お茶は音を立てて啜るのが正しいですし、蕎麦も同様)が、ほとんどの国では音を立てて食べることはタブーです。力の論理によってなくなってしまいましたが、少し前までは同族食い(ようするに人食い)ですら認めている地方もあったのです。自分以外のことはわかろうとすることはできても、本当にわかることなんて決してできやしないんです。
ちなみに私はなんと言われようと、不誠実とか有言不実行とか約束を破るとか平然と嘘をつくといった尺度で物事を計るつもりもありませんし、そういった尺度を理解しようという気もありません。もっともそれがタブーでない世界に住んでいる上に他人の尺度で物事が計れると思っている人に言ってもしょうもないことですけれどね。
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