2002/06/11
コードへの拘りの話
プログラムのコードってのは、凄く怖いものです。コードを見られることは自分を見られることだからです。
私は職業柄、色々な人の生コードを見ます。新人さんのコードから熟練者のコードまで、多岐に渡って見ますが、最近はコードを見ただけで、その人の性格までおおよそ推測できるようになりました。これは本当です。性格的に几帳面な人は几帳面なコードを書きますし、いい加減な人はいい加減なコードを書きます。理屈っぽい人は理屈っぽいコードを書きますし、綺麗好きな人は綺麗好きなコードを書きます。気難しい人は気難しいコードを書きますし、優しい人は優しいコードを書きます。本当にコードというものはその人の性格を如実に表しています。それだけに、自分のコードを公開するというのは非常に勇気が必要です。自分の性格を他人に知られてしまう、とても恐ろしいものだからです。コードから性格を読むということが私にできるなら他にもできる人が必ずいるはずです。その事実に気づいてから、私のコードは変わりました。とにかく見やすく、わかりやすく。どうしてもテクニカルロジックが必要な場合は、そのロジックの根拠なりデータなりをコメントしておく、仕様書無しでコードを見ただけで、普通程度にスキルのある人が何をしているのかわかるようなコード。そういうコードを書くようになったのです。それでも自分の持ち前のいい加減さが顔を出して、変数の命名法が関数によって異なっていたり、ロジックの詰めが甘くてバグを出したりということがあります。自分で自分のコードを見て自己嫌悪に陥ることもあるくらいです。
そこまでコードに拘り、綺麗なコードを目指すように精進し、啓蒙しても、そのような行為は無駄とみなされる文化というものが、世の中には存在します。まったくコメントが記述されていないコードを、要件定義書だけ添えた状態で保守を引き継がされたりというのが当たり前という世界があります。早くそういう世界が無くなるといいですね。


 

Topへ