2002/05/21
カシミール問題の話1
さて、カシミール地方が、またきな臭くなっています。ここはいつもやばいのですが、今回は本当に核戦争まで行くのではないかと心配されています。カシミール地方の数奇な運命についてまともに書くと本が一冊書けてしまいますので、大幅に端折りながら(それでも凄い量になった)何故このような事態に陥ったのかについて書こうと思います。
まず、カシミール地方の位置について説明しましょう。ここは四つの国の接点に存在する地方です。インドとパキスタンは当然として、それ以外にアフガニスタンと中国とも接しているのです。それぞれの国の主な宗教は、ヒンドゥ、イスラム、イスラム、無宗教(共産国だから)で、これを聞いただけでもやばいことがわかると思います。そう、カシミール問題は宗教問題でもあるのです。ではカシミールは何教かというと、もともとは仏教エリアでしたが、途中からヒンドゥ教に変わり、後にイスラム教に変わるという複雑な経緯を得て、16世紀にはムガール帝国の支配化になりました。しかし19世紀初頭にシク王国に占領されます。ここで紛争には何故か必ず関わっているイギリスが登場します。イギリスは1846年にシク王国との戦争に勝利したことから、カシミールを含めたインドを植民地化、この地方はジャンムー・カシミール藩王国となります。それから100年経った1947年。かのガンジーの独立運動のおかげでインドがイギリスから独立することになると、その宗教的な問題から、インドはインドとパキスタン(余談だがパキスタンという国名はパンジャブ州、アフガン州、カシミール州、シンド州の頭文字と、バローチスタン州の末尾をくっつけて作ったと言われている)、スリランカ(仏教)の三国に分かれましたが、ジャンムー・カシミール藩王国もインドの藩王国の一つでしたから、独立するにあたって、どの国に属するか決定する必要がありました。当時のカシミール藩王であるハリ=シングは、インドへの帰属を決定しました。
続きます。


 

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