2002/05/13
天才は1%?の話
トーマス=エジソンの有名な言葉として「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というのがあります。
世の中には天才と秀才と凡才が居ますが、それぞれにはれっきとした差があります。秀才は「秀でた才能」のことですし、凡才は「凡その才能」を表します。それぞれは後天的なものであり、凡才は秀才になることも、秀才が凡才になることもあります。その有無は、単に努力をするかしないかに過ぎません。努力する凡才が秀才になり、努力しない秀才が凡才になるだけです。しかし、天才だけは違います。天才は「天賦の才」の略で、生まれたときから天に与えられた能力のことを表します。天才は天から与えられた才能であり、努力しようがしまいが天才は天才なのです。また、凡人がどれだけ努力しても、天賦の才だけは、得られません。こうして、もう一度エジソンの言葉を読みなおすと、この言葉が意外に深いことがわかります。私はエジソンの言葉が真たり得るのは、ある前置詞がついたときだけだと思います。その前置詞は「有名になる」です。つまり「有名になる天才とは1%のひらめきと99%の努力である」ということです。世の中にはせっかく天賦の才を持ちながら、それを生かさない人が多々います。彼らは間違いなく天才だと思うのですが、得てして努力しません。努力しない天才は有名になれませんが、天才であることには変わりません。そしてその天才が努力したとき、初めて有名になれるのです。逆に言うなら凡才がどれだけ努力しても、有名にはなれません。漫画などで天才が「努力する凡才」、つまり秀才に負けたりしますが、努力する秀才が勝てるのは「努力しない天才」だけです。「努力する天才」には、凡才がどれほど努力しても、同じだけ努力する天才に敵うことは無いのです。
では、「天賦の才」とは何でしょうか。これを私は1%のひらめきが出るか出ないかの差だと思っています。天才でなければ、この1%のひらめきは、生まれないのです。「天才とは1%のひらめきが出せる者である」というのが、私の天才観です。
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