2002/05/01
メーデーの話1
今日はメーデーです。
メーデーの本来の起源は私の得意分野である、ケルトにつながります(古代ローマ起源説もあり)。ケルトにおいては5月は春の始まりであり、多神教であるケルトの神々は人々の中でも最も優れた者の願いを適えるとされていました。そのため、最も優れた者を選出し、皆を代表して願いを行うという祭が起こりました。これは女王が指揮を取った一大ゲーム大会でした。各ゲームの優勝者は女王から鈴をもらい、その鈴を五月柱(メイポール)に結び付けることで願いを立てました。それが後にキリスト教が入りこむことによって変化し、ゲームの勝利者から五月女王(メイクイーン!)を選ぶという祭になりました。メーデーが国際的な労働者の祭と変わったのはそれほど古い話ではありません。これは単なる偶然に過ぎず、別にメーデーにやるべきことでもなかったのですが、1886年の5月1日、アメリカの労働者は8時間労働を獲得するための全面ストライキに突入しました。これは「労働に8時間、睡眠に8時間、自由に8時間」をキャッチフレーズに運動を広げ、全米で38万人以上の労働者が参加しました。その結果、20万人前後の労働者が8時間労働を勝ち取ることに成功しました。しかし、この8時間労働が広まるのを恐れた経営者側は即座に反撃しました。まず2日後にシカゴの機械工場の従業員4名が警官に射殺され、その翌日にはヘイマーケット広場での労働者集会に爆弾が投げ込まれました。そしてその犯人をストライキの指導者とし、これを契機に数々の事件を捏造して、全てを労働組合に擦り付け、犯人として投獄、処刑しました。こうして8時間労働の約束を反故にしていったのです。しかし、2年後に体制を整えなおし、1890年の5月1日に再度ストライキを行います。しかもこの年はたまたまフランス革命100周年でもあったため、この運動を世界規模(アメリカ、ヨーロッパ以外にも中東、オーストラリア、ラテンアメリカなど)に拡大することに成功します。これが第1回国際メーデーとなります。
続きます。


 

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