2002/03/04
ひな飾りの話2
続きです。
さて、お内裏様の左右に関してちょっと記述しましょう。一般に関東では男が右(向かって左)に、関西では男が左(向かって右)に置かれるといわれています。この理由については、確実に判っていることから書きましょう。元々は向かって右に男を置いていました。これは確実で、何故なら朝廷の順位が、そうなっていたからです。この起源も例によって中国にあり、唐の文化が輸入されたようです。唐においては左上位といって、左(向かって右)のほうが位が高いという風習がありました。朝廷はその風習を丸ごと受け入れましたので、向かって一番右にいる、つまり一番位が高いことを「右に出る者がいない」と言うようになり、向かって左に移動する、つまり位が下がることを「左遷」というようになったとそうです(個人的にはかなり怪しい話だと思う)。また、左に男を置くのは男性のほうが女性よりも位が上という男尊女卑の思想があると言う人もいますが、そこまで拘ることはないと思いますね。関東で左に女雛を置くようになった理由について知っている限り列記します。まず、最も有力なのは西洋文化の流入によるものという説で、西洋では騎士が右手に剣を持って左手で女性を支えました。明治天皇は西洋文化を取り入れて右に立ち、皇后が左に立ちました(これは写真が残っているので本当)。ひな壇もそれに習ったという説です。徳川家康の孫の興子内親王が明正天皇となったことから江戸では上位である左に女雛を置いたという説がありますが、この時代にはまだ雛飾りがありませんでしたから、無視してもいいでしょう。さらに、関東は武家社会で刀を握る右側に人を座らせなかったという説もありますが、近代雛飾りが武士から始まったということを考えると案外本当かも知れません。これ以外にも関東では男が女房の尻に敷かれていたから女が上座という説もあったりします。ちなみに雛飾りは正式には上座で北の位置、南向きに置くことになっています。
ひな人形の次は、飲食物に注目してみましょう。


 

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