2001/12/05
癒しの話2
昨日の続きです。
では何故、「癒し」はブームと成り得たのでしょうか。これについて、私なりに考察してみたいと思います。現在の地球全体というか社会全体というものが、世紀末という不確かな不安から解放されてもなお不安感から立ち直ることができていないことは明白です。もちろんそれには何の理由もないわけではありません。不況もそうですし、テロもそうですし、増税の問題もそうですが、これから世の中は良くなることはなく、悪くなる一方だろうということは誰もが意識するしないに関わらず感じているはずです。これらの根底には実は死というものに対する恐怖感から起こっているものなのです。たとえばちょっと原発が事故を起こせばみんな死んでしまうし、ちょっとコンピュータが誤動作すれば核ミサイルが降ってくるのですから、身近な死というものに対して不安感を持つことはあたり前の話です。現代という世界はとっくにカタストロフィを迎えており、この状態でも、なんの不安も持たないという人間というのは物凄く鈍感なのか、物凄く無知なのかのどちらかだと思います。このような不安の強い社会においてはそれを和らげるものというのは必須であり、それが昔は宗教の役目だったのですが、現代のように不完全に知識がある世界では宗教というものは救いにならず、そのために「癒し」という宗教の代替物が誕生するに至ったのでしょう。つまり、「癒し」というのは宗教なのです。こう考えてみれば、「癒し」ブームというものが理解できます。「癒し」によって不安感が和らげられるのであれば、どんどん癒されるべきです。変な宗教にはまるよりは「癒し」という宗教にはまるほうが私ははるかに健全だと思います。
もちろん、「癒し」による不安感の和らげというのは根本的な解決になってはおりませんし、麻薬と同じようにエスカレートしていくものですし、いつかはそれですら払拭できないくらい、不安感が増大することも確実です。つまり一種の時間稼ぎに過ぎず、逃げであることは明白なのですが・・・。まあ、所詮、宗教ですから。
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