2001/11/22
金と暇と誘いの話
ありがちな命題として金がないのと暇がないのと、どっちがましか、というのがあります。
金はあっても使う暇がない、暇はあっても使う金がないというのは、どちらも一見すると不幸なように見えますが、実は比較になりません。なぜならこの二つは対等の関係ではなく主従関係にあるからです。どんなに金があっても、暇がないのはどうしょうもありません。なんとかして暇を作ればその時点で金も暇もあるということになってしまいますから、条件を満たしません。つまり、暇があるというのは必要条件なのです。ところが、金を使わなくても暇を潰すことはできます。図書館に行ってもいいですし、そのへんの公園に行ってもいい。散歩するだけでも暇つぶしになります。金がなければないなりの潰し方があるのです。よって金というものが充分条件だということがわかります。金があるよりも暇があったほうがいいという結論が出るように巧妙なトリックを用いて、金というものを卑下しようとする意図が見え隠れします。では、別の命題を出しましょう。友達に遊びに誘われたのに遊ぶ金がなくて断るのと金があっても友達に誘われないのでは、どっちがましか、というものです。これもまた金を卑下させるために使われます。大抵の人は金がなくても誘われるほうがましと答えますが私に言わせればどちらも馬鹿な話です。前者なら見栄を張らずに金がないことを相手に伝え、金のかからない遊びに変えてもらえばいいですし、出世払いで借りるなり奢ってもらうなりすればいいのです。後者なら金の使いどころさえ間違えなければ友達を作ることはいくらでもできます。金で友達を買うなんてと思うかも知れませんが、それは前者、金がないと遊んでくれない友達と同じ話です。それに何も金をばらまいて友人を作れと言っているわけではありません。自分に投資して自分を磨けば、嫌でも友人はできます。そういうところに使うのです。
実はこれらの命題でどの答えを選ぶにしても、必須の項目があります。それは知恵です。金が無くても遊べる知恵、暇を作る知恵、金を使って友人を得る知恵、金無しでも遊んでくれる友人を得る知恵。それが無い人が、こんな問題で悩んでしまうのです。


 

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