2001/04/15
動物愛護の話1
よく動物愛護団体が頭のいい鯨を食うな、と言います。じゃあ牛は頭が悪いから食べてもいいのか、菜食主義?植物だって生きている。同じ生き物に変わりはないし痛みだって感じるのにそれは食べてもいいのか。アメリカだってエスキモーが鯨を食べてるじゃないか、自分達が食っているのになんで日本を攻撃する。
・・・なんて、ありがちな展開をこのてんてんがすると思いますか?冗談じゃない。そんな馬鹿げた理論は逆に木っ端微塵にしてさしあげましょう。例えば時速30Kmオーバーで走っている車と時速20Kmオーバーで走っている車があって、時速20Kmオーバーで走っている車が捕まったとします。このとき、前の車のほうがスピードを出していたのに自分だけ捕まるのはおかしい、という理論が通じますか?同じように牛を食っているんだから鯨を食っているのを批判するのはおかしいという理論は通用しません。話が違う?制限速度オーバーは法律違反で鯨を食うのは法律違反ではない?じゃあ法律ってなんですか?大辞林によると「社会生活の秩序を維持するために、統治者や国家が定めて人民に強制する規範」だそうです。では社会生活の秩序というのはなんなんでしょう。実はこれは純粋な多数決に過ぎません。もっと言ってしまうとパワーゲームです。パワーゲームで鯨は駄目、というパワーが勝てば鯨を食うのは駄目なんですよ。同じようにパワーゲームで牛は食ってもいいとなれば食っていいのです。そして国際社会というレベルでのパワーを見るとこれは鯨食うな牛食ってもいい派が圧倒的多数なわけで、そうするといかなる理由があろうと鯨を食うのは駄目ということになるのです。しかも、日本においてどうして鯨を食べなければならないのかを理論的に説明できる人がほとんどいないというのも問題です。エスキモーが鯨を食うのはそれ以外に食べられるものがあの地域にない、という理由があります。でも、日本においては所詮うまいから、とかそういう文化だからという、パワーゲームにおいて意味を持たない理由しかないでしょう。
明日に続きます。
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