2001/04/14
踏み絵の話
私はときどき踏み絵を踏ませます。
踏み絵というのは御存知のとおり本来は江戸時代にキリスト教を禁止するためにキリストやマリアの顔の書かれた絵などを踏ませて、踏めない人間をキリシタンとして弾圧するという目的に使ったものです。私の踏み絵というのは、それを越えてしまった場合、もはや後戻りできない、ある一線を越えさせるという意味です。私は相手の意見をうまく誘導して相手の独壇場にさせておいて、相手が勝利を確信したところでこの踏み絵を見せます。この踏み絵を踏めば相手の論理は破綻しませんが人として失うものが大きいような、そんなものを用意します。踏まなければ相手の論理はもちろん破綻します。この技は相手の性格その他を熟知していないと使えません。しかも、相手がうまく想定するゴールに辿り着いてくれればいいのですが、よほど単純な性格でない限りそんなにうまくはいきません。それでも過去に数度は踏み絵を踏ませることに成功しています。またこの技は使うほうにもかなりのダメージが入ります。ダメージを受けたくありませんから私が踏み絵を使う場合、相手が踏むか踏まないかを見極めずに、相手が見たことを確認したらさっさと消す、という戦法を取ります。それだけでも充分相手にダメージを与えることができますし、自分の受けるダメージは相手に回答させないことである程度は軽減できるからです。まあ、やられたほうは「最初から消すことを前提に書くな」なんて遠吠えをしたりするようですが。もちろん簡単な踏み絵というのもありますが、これではクリティカルにはなりません。簡単な踏み絵というのは自分の論理を引っ張って、相手が共感したところで突き落とすというもので、これまた自分に与えるダメージが大きい技です。
これをやるとやられたほうの論調がいきなり崩れてしまい、あまり面白くありません。よほど腹が立ったとき以外はやらないほうがいいでしょう。具体例を示せって?じゃあテーブルトークでそのうち簡単な踏み絵でもやります?
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