2001/04/01
四月の馬鹿の話
今日は一般に四月馬鹿の日ですが、この成立については昨年書きました。今年は色々考えたのですが、この日が命日となる、ある馬鹿について書こうと思います。
馬鹿と天才は紙一重と言われます。ノルウェーに、もし世の中が世の中なら天才と言われたであろう馬鹿がいました。その男はノルウェー農業大学(TheAgriculturalUniversityOfNorway)を出てからしばらくは普通に生活をしていたのですが、両親を失ってある程度の資産を受け継いだとき、突如あることを思いつきます。自分の母国にはどれだけの植物があるのだろうか、と。当時は植物の体系的な図というものは存在せず、誰もそのような金にならないことをしませんでした。そもそもノルウェー自体が万年雪に覆われた大地を持ち、それほど多数の植物があるとは思えなかったということもあります。その男は多少の絵心があったため、みずからノルウェー中を回り、植物をスケッチしていきました。雨の日も風の日も雪の日も、男は国中を回ってスケッチしつづけました。周りの人は彼を「馬鹿」と言っておりました。スケッチの量は膨大となりました。その男は三月に交通事故に遭い、自ら書いた全てのスケッチを自分の母校、ノルウェー農業大学に寄付すると、四月一日に息を引き取りました。しかし、その労力は死んでなお報われず、その男の功績はそれから十数年の月日が流れ、ノルウェーにオスロ大学(TheUniversityOfOslo)ができるときになって初めて日の目を見ます。ノルウェー農業大学の倉庫の中で埃まみれになっていたそのスケッチには絶滅種を含めて実に六千種以上の植物の絵と発見された場所が残されており、その研究成果はノルウェーにおいて「最大級の発見」とまで言われたのです。この功績を認められ、その男の命日である四月一日はオスロ大学における公休となっています。しかし、それは遅すぎる功績の評価でした。ときの国王はこの発見を知って「我々は一人の天才を馬鹿と見間違うという愚かな真似をしてしまった」と述べています。
今日は四月馬鹿などと言わずにその偉大なる馬鹿のために祈りましょう。その男の名はルーフ・ルリプイエ(Roof=Rlpiar)と言います。
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