2000/11/16
王佐の才の話
私は自分の能力を知っています。自分はまったく才能がないわけではないのですが、決定的に欠如している能力が二つあり、そのどちらも致命的なものです。
私の持っている能力は軍師としての戦略眼です。つまりある人のために戦略を立てることに関してはトップクラスの能力を持っていると自負しています。これを格好良く言うなら、王佐の才ということになります。しかし、実は王佐の才というのは無能であるといっているのと同じことなのです。歴史上王佐の才を持つと言われていた人は何人もいますが、その共通した欠陥があります。私もその例外に漏れません。まず第一に決して王とはなれないということです。第二に将ともなれないということです。計画というものは立案し命令し、実行して初めて成立します。私は立案者(=軍師)にこそなれてもそれを命令するだけの人望(=王の能力)も、実行するだけの能力(=将の能力)も持っていません。そのため、私は自分の能力を生かせるだけの能力を持った王と将を探さなければなりませんでした。ところが、類は友を呼ぶというのでしょうか、私の周りには同じように王佐の能力を持つ者はその能力の大小はともかく何人かおりましたが肝心の王となれるだけの人望というかカリスマ性を発揮できる人材が皆無でした。そのため、私は自らにカリスマ性も実行能力もないことを自らわかっておりながら王と将の役をせざるを得ませんでした。もちろん自分にないとわかっている能力を発揮しようとしているのですから、それはことごとく失敗しました。私は結局その能力を生かしきれず、ただの予言者と成り果てました。私の予言、実は予測なのですがその的中率は90%を越えています。私には将来こうなるだろうという予測は簡単に立てられます。まずは敵を知らねば戦略は立てられないからです。しかし予測に対しての対策をすることはできません。対策を思いつくことはできても、それを実行することも命令することもできないからです。
私はこうして王に恵まれないまま年を取り、そのまま消えていきますが、何人かには私の王佐の才の一端を伝授しています。このうちのどれかは実を結ぶのでしょうか。


 

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