2000/09/23
健全な肉体と精神の話
商業主義、国を掛けての威信の見せあい、茶番劇のオリンピックが始まりました。サッカーもブームが下火になり人気も落ち目なので一所懸命盛り上げようと頑張っていますね。「勝つことよりも参加することに意義がある」なんて思想は今も昔も白々しい言葉ですが、それよりも馬鹿馬鹿しいのが「健全な精神は健全な肉体に宿る」なんて言葉です。この言葉を好んで使う指導者もいますが、もう少し勉強してほしいですね。
この言葉を最初に言ったのは古代ギリシャと思われていますが、嘘です。古代ギリシャではたしかにそれらしい台詞を残した人はいますが、その人物は皮肉家で有名だった人物です。その人物がこんな言葉を吐くはずがありません。本来この言葉は日本語訳するなら「健全な精神は健全な肉体に宿れかし」です。今風の言葉に直すなら「健全な精神は健全な肉体に宿ればいいのにね」という反語表現になります。つまり健全な精神は健全な肉体を持つ人には宿りはしないよ、と言っているのです。この言葉はわざと言いかえられた節があります。時代はもちろん昭和初期。軍国主義が台頭した時点で精神主義もはびこり出し、体が強い(=兵隊として使うことができる)奴は精神が健全で、体が弱い(=兵隊として役に立たない)奴は精神も病んでいるという無茶苦茶な理論が作られました。これはまさしく日本の戦前の軍部が作ったご都合的なスローガンです。そしてこれは運動能力の無い奴は性格が悪いとか身体に障害を持つ人は精神が病んでいるというような差別思想の基本にもなっています。このことに関して、なんでもかんでも代案無しに反対しか言わず、政権取ればいつも180度方向転換、与党よりも嘘つきで、党名だけ変えてごまかそうとした社民党はもちろん、共産党すらこのことについて何も言わないのが不思議です。
私?私は過去のテーブルトークに書いているとおり不健全な肉体に、これまたテーブルトークを読んでいる人はわかるとおり不健全な精神が宿っております。日本には便利なことわざがありますからね、「憎まれっ子世にはばかる」って。


 

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