2000/04/03
ヨシュアの話
今度のVIAのサイリクスチップのCPU、Joshuaですが、聖書のヨシュアから取ったんですね。なんていわく
つきな名前を使うんでしょう。
ヨシュア記ってのは日本でキリスト教関係者にどんな話か聞くと嫌がる話です。概略だけ話すと、ヨシュ
アという人(モーゼの死後、ユダヤの民族を率いるように命じられた人です)が神の命じるままに軍隊を
率いて、ただその土地にいた、というだけでなんの罪も無いカナンの先住民族を女子供を含めて一人残ら
ず徹底的に皆殺しにした上、馬は足の腱をことごとく切り、建物から戦車に至るまですべて火をつけて焼
き尽くしたという話です。これはキリスト教では当たり前の話で、そもそも旧約聖書自体が神と人間の約
束をまとめたもの(新約聖書はキリストと人間の約束)であり、そのため、神の命令に従ってどんな残虐
なことでも行うことが契約を履行したことになり、褒め称えるべき行為なのです。例えばこのヨシュア記
にも、神の教えに背いて奉納物(原文を読んでいないので何とも言えませんが、奉納物には敵を殺すこと
も含まれます。つまり敵を見逃してあげたと取ることもできます。その次の戦いで敗北を喫していること
から、見逃した敵が相手に情報を伝えたと考えることもできます)を取ったアカンという男が石打ちの刑
により処刑され、一族郎党、家畜も含めて焼き尽くされたという話があります。同じヨシュア記にはギベ
オンという民がユダヤの民を騙くらかした話なんかも出てますので興味がありましたらお読みください。
日本では受け入れられませんよね、こんな話。これは結局人間性を捨て神の奴隷として働け、ということ
なんですよ。豊臣秀吉に人気があるのは織田信長の命令に背いて比叡山のお坊さんを逃がしてあげたみた
いな、人間的な暖かさがあったからと言われています。日本でやるなら義理と人情、秤にかけりゃ義理が
重たい男の世界とかっていって、本当は皆殺しにしたくはなかったんだけど神との義理には背けずに仕方
なく皆殺しにした、でもギベオンの民だけは理由をつけて生かしたなんて話にするしかないでしょうね。
ところで、VIAってINTELもAMDも皆殺しにするつもりなのでしょうか。
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