昔のもな見
◇2004年05月(後半)◇
2004年5月31日 | あみだくじー | |
えっと。 きょうもゆんゆんとデムパ更新ー。 JSTバーチャル科学館というサイト様がありますー。 ここは科学技術振興機構 科学技術理解増進部というところがやられているみたいなのですケド。 この中に、「秋山仁のさわって算数」というコーナーがありますー。 あれ?聞いたことがある!という閲覧者様もおられるカモ知れませんねー。 そう、「あみだくじは不公平?」という記事が出ているコーナーなのですー。 で、これ、実際に試してみた人って居ますかー? もなみは試しましたー。 その前に、どのような形をしていても、あみだくじって最終的には(縦線の数−1)進数(横線の数)桁の数字にすることができるという前提があるのですケド、これを図で説明しますねー。 この3つのあみだくじ、真ん中の縦線から見て、左の縦線に横線を引いたとき0、右の縦線に横線を引いたとき1として、上から順にどこに線が引かれたかを書いていくと、どれも00101と書けることが判ると思いますー。 さて、こうして単純化すると組み合わせも有限になるわけで、それを利用して縦線3本に対して横線を0〜5に増やしたときの結果を書いたのが下の図ですー。 この図は上に書いた数列を0〜最大まで順に並べてありますので、これを見るとある法則に気づくと思いますー。 真ん中の線の真下は、横線が奇数のときは、1+(横線の数−1)÷3(端数切捨て)回、横線が偶数のときは、横線の数÷3(端数切捨て)回当たりになるのですー。 そして、この法則は実は横線を何本に増やそうと変わりません。 ちなみに縦線の数を5、7、9と増やすと判るのですケド、この割り算部分は縦線の本数に等しくなりますー。 つまり、あみだくじで真下が当たりになるのは、ほぼ確率どおりで有利不利など無いのですー。 じゃあ、「さわって算数」に出てきた秋山仁装置(もなみ命名)の結果、球が中央に寄ったのは何故だ、二項定理を否定するのかトカ言われそうなので説明しますねー。 そもそも二項定理のパスカル三角形って、左右へ移行する確率が「常に」50%のとき「のみ」成立する定理なんですよー。 でも、あみだくじって一番左や一番右の縦線に来たらそれ以上左や右に行けなくなって右か左へ100%の確率で移動してしまうわけで。 ですから、もともと二項定理のルールを満たしていないのですー。 で、秋山仁装置ですケド、これって横幅が広い割にはピンの数が少なくて、絶対に左の壁や右の壁に辿りつかない(つまり100%の確率で左や右に行くしかない状況にしない)ようにしているのですー。 つまり、秋山仁装置は二項定理になるように調整されたイカサマ装置なのですーw。 実際にピンの縦を100行くらいにして、左壁に辿りついたらそれ以上左に行けない、右壁に辿りついたらそれ以上右に行けない、という壁ルールつきでコンピューターシミュレーションで100000回ほどやってみると、どの穴にも均等に球が入ることが確認できますー。 っていうか、確認しましたw まー、このことは前にもな兄が書いたことの焼き直しなのですケド、1ヶ月ほど前に数学的に問題点を指摘した上でこのままだと嘘科学を教えていることになりますという内容のメールを送ってみたのですー。 ところが、今になっても返事がありませんー。 もなQは嘘科学を広める科学技術振興機構様や嘘算数で人を騙す秋山仁先生を地獄の炎に投げ込むべきか、あみだくじで決めたいと思うのですよんよんー。
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2004年5月30日 | メイド喫茶と萌え | |
えっと。 最近もな兄が、ラム様のツインテール&眼鏡っ子WEEKでさや姉様の「お帰りなさいお兄ちゃん」攻撃に瞬殺された事件というのがあったばかりですし、今日はメイド喫茶と萌えの関係についてー。 そもそも、秋葉原という街において、あれだけの数のメイド喫茶(或いはコスプレ喫茶)が存在し、かつその全てが、それなりに繁盛しているという状況が何故起こるのでしょうかー。 そこで普通の喫茶店とメイド喫茶において何が違うのか、というのを考えてみましょー。 「メイド喫茶はコスプレしてる」 いや、そりゃそーなんですケド、それならアンミラだって馬車道だって一種のコスプレなわけで、メイド喫茶でしかありえない特徴というのがあるはずなのですー。 で、もなみが出した回答ー。 たとえば男子校を出て大学の理工系に進んじゃったりすると、女の子と話すどころか下手すると「おはよう」の挨拶すら機会が無かったりするわけで、じゃあ喫茶店に行けば会話できるかと言えば普通の喫茶店の場合は毎日通っても会話なんか無いですし、結局「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と一方的に言われるだけですし、下手すると単に見ているだけですらヘンタイ扱いされかねないのですよー。 ところが、これはメイド喫茶という形態が一種のロールプレイングの場であるということも理由の一つなわけなのですケド、メイド喫茶は普通の喫茶店と比べて、はるかに女の子との会話がしやすいです(忙しくない限り。というか、忙しいときに話し掛けるのはマナー違反ですよね)し、女の子が働いている姿を見ていても文句言われないわけでー。 オトモダチ「のように」会話したい、或いは働く女の子を愛でたいという欲求に応えることができる場所がメイド喫茶なのですー。 まー、人によってはセイテキヨクボウを持つ人も居るカモ知れませんケド、普通はそこにイヤラシサは無いわけでー。 結局、それって「萌え」そのものなんではないかとー。 普通の喫茶店のような、お客様と店員様という極めて希薄な関係ではなく、かといってオトモダチほど親密すぎる関係でもない、そんな微妙な関係。 もなQは、これからもメイド喫茶様が発展することを願っていますー、というこの文章は、ゆうな姉様の目を盗んでラム内で紙ナプキン上に書かれたというデムパー。
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2004年5月29日 | 巫女と処女性 | |
えっと。 とりあえず軽いデムパをー。 ちょっと前に話題となった巫女の処女性というのを読んでみましたー。 というわけで、今日はこれに対してイロイロと書こうかと思いますー。 え? 処女の意味も判らなそうなのに、何が書けるかって? もなみだって9歳ですから処女くらい知ってますよー。 結婚してなくて子供産んでない女の人のことでしょ? 実を言うと、書いていることは大筋で合っていますし、よく調べられてますー。 でも、巫女様に処女性が必要な理由についての大きな誤解が存在していますー。 巫女様が処女である必要が無いという理由に、性はケガレでないから、というのが上がってて、それは正しいのですケド、だから巫女様は処女である必要が無いという結論になるのはケガレというものを理解していないために発生した誤解だと思いますー。 ケガレというものの本質は何なのか、というと、実は殺傷に対する恐怖にあるからですー。 獣にしても人にしても、何かを殺した場合、その手は血に汚れ、洗っても落ちないわけなのですケド、この「血に汚れる」ことをケガレと言うのですー。 なぜこれがケガレかというと、相手を殺した場合、その魂が殺した相手につきまとうからという信仰があるからなのですねー。 だからこそ、鎮魂という言葉が存在するのですー。 古来から、日本においては戦争や狩りで人や獣を殺すのは男性の仕事と決まっていましたー。 つまり、非処女の女性がケガレたものなのではなく、男性がケガレたものだったのですー。 だからこそ邪馬台国の巫女様である卑弥呼様には男性は一切近づけなかったのですしー。 また、別の視点から巫女様が処女でなければならない理由も挙げられますー。 巫女様というのは神様と結婚する存在で、そのため巫女様という体を通して神様が語りかけることができ、それが神託となりますー。 巫女様が人と結婚すると、神様と人との重婚になってしまうわけで、これは極めてまずいことですー。 当時は必然的に一夫一妻制ということは無かったはずですケド、それでも人と神様が同じ女性と結婚することはありません。 なぜなら、人は神様の子を産むことができるからですー。 実際、大物主の丹塗矢神話に出てくる勢夜陀多良比売(原文では勢夜陀多太良比賣になってますケド、誤記と思われます)は巫女様ではありませんケド、神様の子を産みましたー。 巫女様が子供を生んだ場合、それが神様の子なのか人の子なのか区別できないというのは極めてまずいことですよねー。 それに、そもそも神様と結婚して神託を授かる巫女様は基本的に神様と同格になりますので、触れることすら恐れ多く、不遜なことだったのですよー。 そういうわけで巫女様は処女で神聖なものであるから、もなQは巫女萌えなこの人なんかは、地獄の火の中に投げ込むべきではないかと思いますー。
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2004年5月28日 | デムパ強化期間 | |
えっと。 リンクすると迷惑かかりそうなのでリンクしませんケド、ある個人掲示板で「ギャルゲーサイトかと思ったら真面目なサイトだった」というようなことが書かれていましたー。 ギャルゲーサイトが真面目でないサイトかどうかは置いておいて。 去年の自由論の締めのときに、もなみはこんなことを書いています。 もう一度リライトしますと「自由に書けなくなるのは影響力が大きくなるからで、自由に書くためには影響力が小さくなければならない、そのためにはまた馬鹿が何か言ってると思われればいい」ということですねー。 だから、もなQは非権威志向なのですし、会社から見るのがハバカレルようなVNIサイトになっていたりするわけでー。 まー、これも自由と責任に対する一つの解答なのですケド。 ところが、できるだけデムパ飛ばしたつもりだったのですケド、このところの更新内容にデムパ度が足りなかったようで、真面目なサイトという、あらぬ誤解を受けているみたいでー。 そういうわけで、もなQは、これからしばらくはデムパ度5割増しのデムパ文章強化期間にしますのでー。
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2004年5月27日 | 何故責任が伴う? | |
えっと。 もなみは昨日、自由には責任が伴うと書きましたケド、じゃあ、なぜ、自由には責任が伴うのでしょうか? なぜ、無責任に自由を行使しちゃいけないのでしょうか? そんなの当たり前だよー、と思うカモ知れませんケド、じゃあ何故当たり前なの?という問いに答えるのは、ちょっと難しかったりしますー。 一番簡単な答えは、自由を無責任に行使すれば他人の自由を奪うことになるからというのがありますケド、それもまた、何故他人の自由を奪ってはいけないのかという疑問が出るわけでー。 たとえば一神教であるキリスト教やイスラム教であれば、神が全ての人に平等に与えた権利だから、というような説明は可能なわけなのですケド、特に近年においては全ての国が一神教であったり、宗教的統治がされているわけではないわけでー。 そうすると、別の理由があるのですねー。 世界史的に見て、自由というのは、それを得るために大変な努力をしているのですよー。 たとえばプロテスタントによる宗教改革でもいいですし、フランス革命でもいいですし、奴隷解放運動のアメリカ南北戦争でもいいですー。 とにかく、基本的に自由は沢山の屍の上に初めて手に入れることができるものなのですー。 そして、それを奪われるのは簡単だったりしますー。 たった一人でも、得た自由を無責任に行使しさえすれば、それを理由に自由を奪うことができるから。 だって、権力者は常に自由を奪うチャンスを狙っているのだから。 そうやって奪われた自由を取り戻すためには、やっぱり沢山の犠牲が必要だったりしますー。 あなたが無責任に行使した自由によって、その自由をあなたも行使できなくなるのですよー。 だから、自由を行使するためには責任が伴うのですー。 CCCDの問題にしても、ファイル共有の問題にしても、輸入権の問題にしても、自由を奪うチャンス(あるいは言いがかりと置き換えてもいいです)を誰が与えてしまったのか、という点に注目してみませんか? もなQは、自由を守るためにはどうすればいいのか、という答えがそこにあると思います。
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2004年5月26日 | 自由再び | |
えっと。 レベル2終了で書くこともないと思ってたのですケド、自由ふたたびー。 テーブルトークRPGをしている人なら一度は聞いたことがある言葉がありますー。 それは、究極のテーブルトークRPGという話ー。 いわく「マスターは何でもできる、プレイヤーは何をやってもよい」。 この言葉は「マスターは何をやってもよいわけではない、プレイヤーは何でもできるわけではない」という意味でもあったりして、物凄く奥が深い言葉でしてー。 特に重要なのは「何でもできる」ということと「何をやってもよい」ということは別だということを表していることですー。 これって、実は「自由」と「責任」の関係を表しているのですよー。 「自由(何でもできる)」は「無責任(何をやってもよい)」と違うものです。 「自由(何でもできる)」には必ず「責任(何をやってもよいわけではない)」が存在します。 「無責任(何をやってもよい)」には必ず「不自由(何でもできるわけではない)」が存在します。 もなみは、P2Pソフトを開発することは「自由」であり、束縛されるべきではないと思いますし、そういう束縛には戦うべきだと思いますー。 ただ、当然ですケド、違法に使われないようにする「責任」は果たすべきだと思いますー。 もなみは、リンクすることは「自由」であり、束縛されるべきではないと思いますし、そういう束縛には戦うべきだと思いいますー。 ただ、当然ですケド、リンクしたことによって発生する問題に対する「責任」は果たすべきだと思いますー。 でも、最近の風潮は、どうも「自由」を「無責任」に行使しようとしているように感じるのですよー。 だからこそ、問題が発生しているのではないでしょうか? もなQは、「自由」と「責任」について、もう一度考えてみたいと思いますー。
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2004年5月25日 | 黒幕 | |
えっと。 ここのところ、ずっと長文でリンク論トカやってたりしたのですケド。 今回のリンク論には、実は黒幕が居ましてー。 もなみのメル友のまーくんに煽られてたのですよーw まーくんというのは、生粋のアメリカ人だったりするのですケド、かなりの ・・・これだけでも、どんな そもそも、まーくんが、もなみにキョーミを持ったのは11月24日のもな見で、Links and Law: Mythsを拡大解釈したことから始まったらしいのですよー。 それで、あれは拡大解釈であり、その論法でLinks and Law: Mythsを使うべきではない、拡大解釈しなくてもLinks and Law: Mythsは破綻していることを証明すればいいなんてことを教えてくれたわけでー。 まーくんいわく、日本の個人日記サイト(注:まーくんがun-publicと呼んでいるモノを、もなみが意訳したものです)は世界の最先端を突っ走り、その質・量とも追随を許していないそうでー。 個人サイト自体はアメリカでも前からあったのですケド、大部分はニュースにリンクしてコメントする個人ニュースサイトに近いものだったわけで、いわゆる個人日記サイトに限ってはほとんどなく、その質も量も圧倒的に日本の方が多い、と。 で、近年のblogブームで、そういう個人日記サイトというのがアメリカでも増えてますし、衝突も発生し、当然そこにはリンクの是非についても色々と問題になるだろう、と(このへん、もなみの訳がイマイチでニュアンスが伝わりきれなかったらごめんなさい)そういう予想をされてましてー。 そのとき、リンクフリーをベースにしつつも「和」というキーワードを持った新しいリンク論が誕生するだろう、そして、それは残念ながらアメリカではなく個人日記サイト大国である日本から誕生するだろう、というのですよー。 リアルに問題ケースを大量蓄積できる日本の個人日記サイトコミュニティから、リンク絶対許可制論でもリンク絶対フリー論でもない、第三のリンク論が誕生するって可能性。 なんか、わくわくしませんか? ただ、もなみ自身はこの意見に関しては、かなりカイギテキだったりしたのですよー。 なぜって、今の日本の状況ってば、そのせいで実際に色々な問題が発生しているにも関わらず疑いもせずにリンクフリーを念仏のように唱えてるだけに見えたから。 もなみが新しいリンク論を作れればいいのですケド、どっちかっていうと和を乱して掻き混ぜるほうなので、まーくんにも初めっからオマエには期待してないトカ言われちゃってて。 じゃあ、せめてLinks and Law: Mythsを拡大解釈しないと、こんなトンデモ文章なんだよーということを示して、絶対的リンクフリー主義に楔だけでも打ち込んでみましょー、ということで、まーくんからネタ貰ったりしながら書いたのが、ここのところのリンク論だったのですねー。 いくら原文や訳文を提示して、おかしいことを説明してもちょっと前だったらLinks and Law: Mythsに従ってリンクフリーは絶対だトカ言う人たちから袋叩きにされていたわけでー。 ところが実際はそうならなかったわけでー。 これって現実的ではない絶対的リンクフリー主義な人たちが減って、第三のリンク論が誕生できるだけの下地がととのった状況ということなわけでー。 そういうわけで、もなQは新しいリンク論が誕生するのを楽しみにしていますー。
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2004年5月24日 | 共存 | |
えっと。 リンク論を検証してくださる方がいらっしゃるみたいなので、今日明日と、ちょっと駆け足で結論みたいなものでも書いて終わらせようかと思いますー。 もなみは、Links and Law: Mythsを根拠とする絶対的リンクフリー論によって、無断リンク禁止サイトを攻撃したり、無断リンク禁止サイトにわざとリンクして相手を破壊するような行為がおかしいことを書きつづけてきたわけなのですケド。 他人にそれを強要しない限りリンクフリーという考え方そのものは否定していませんし、WWWの仕組みを考えれば、原則はリンクフリーであるべきだと思っていますー。 だからこそ、もなQぽぉたるはリンクフリーを選択しているのですし。 ただ、同時にWWWの現状や今後を考えれば無断リンク禁止やアクセス制限も認めるべきだと言っているわけですー。 そもそも無断リンク禁止と言ってるサイトは別に他人に害を与えているわけではないわけですし、無理矢理リンクフリーを他人に強制したって、良いことなんかないんですから。 それに、リンクフリーと無断リンク禁止は共存できるはずなんですよー。 じゃあ、具体的にどうすればリンクフリーと無断リンク禁止を共存させられるかですケド。 たった2つのルールで済むと思うのですー。 基本的にサイトはリンクフリーとしてリンクして構わない。 ただし明示的にリンクを制限している場合だけはリンクしない。 もちろん、世の中にはミスというものがあるわけですから、明示的にリンクを制限していても、間違えてリンクされてしまう場合もあるでしょう。 また、何も書いてないのでリンクしてみたら、相手のコミュニティが破壊されたり、プロバイダにデリられてしまったということもあるでしょう。 その場合は、気づいた段階でリンクを切り、かつリンクしてしまったことに対して相手に謝まればいいと思うのですよー。 もちろんリンクした側も後味の悪い思いや辛い思いをしていることは判ってますケド、そもそもリンクしたことが原因なのですから、こういう不幸な事故が起こったときは、自分にとって都合の良い一部だけをLinks and Law: Mythsから取り上げてインターネットはリンクフリーだなんて開き直ったりせずに、ちゃんと謝ればいいんですよー。 じゃないと、リンクフリーを盾にネガティブアクセスなんちゃらトカ言って相手のコミュニティなりサイトなりを破壊する目的でリンクしたのと同じになっちゃいますよー。 謝っても許してもらえなくても逆ギレしたりせずに、何度でも謝ればいいんですー。 自分の良心にかけて、手を尽くしたと思うまで。 リンクされた側も、初めから相手のコミュニティを破壊しようトカ、アクセス集めてプロバイダにWebPageをデリらせようとしてリンクするというケースの場合は大いに怒るべきですー。 でも、そういう極めて特殊な例外を除いては、貴方のWebPageの楽しさをみんなで分かち合おうという好意の結果、不幸なことになってしまったのですから、相手のミスをいつまでも責めたりせずに、謝ったなら許してあげましょうよー。 そうやって、お互いが歩み寄れば、リンクフリーと無断リンク禁止は共存できるでしょ? もなQは、インターネットはリンクする側のものでもリンクされる側のものでもなく、両方のものだと思いますから、リンクする側もされる側も気持ちよく使い続けられるような世界にすべきだと思いますー。
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2004年5月23日 | 雨男 | |
えっと。 ドーム球場は別として、プロ野球は雨が降れば中止になりますー。 だから例えば9連戦みたいなハードスケジュールで、真ん中で1日雨が降って中止になれば大助かりですよねー。 ところで、阪神に杉山直久という投手がいますー。 杉山投手は4月20日の試合で、中継ぎで良いピッチングをしたこともあって、阪神6番目の先発ピッチャーに抜擢されましたー。 そして、最初の登板予定は、4月27日の横浜戦でしたー。 場所は西京極球場ですー。 4月中の阪神の試合で唯一雨が降って流れた日ですー。 その次の登板予定は5月3日の広島市民球場での試合でしたー。 雨で中止でしたー。 さらにその次の登板予定は、同じく広島戦ですケド、5月16日の甲子園球場での試合。 雨で中止でしたー。 3度の先発予定が全て雨で流れるという偶然。 ところが、これは必然だったようなのですよー。 これは、もなみの想像なのですケド、さすがにここまで雨で流れて杉山投手がかわいそうに思った岡田監督はたぶん21日に先発を予定していたと思うのですよー。 そうしたら、台風2号大接近ですよー。 そこで岡田監督、少しも慌てず井川投手をスライド登板させ、杉山投手を使わないことを決定しましたー。 だから21日、台風は日本列島を直撃せず、快晴となったのですー。 さて、スライド登板という緊急対策によって台風は回避されたわけですケド、もしスライド登板も21日の先発も取りやめていたとしたら。 次の先発予定は25日の対横浜戦でしたー。 そして、その日を狙ったかのごとく台風3号が控えていたのですよー。 スライド登板のおかげでスケジュールが変わりましたので、順当に行けば杉山投手の次の先発は26日。 甲子園球場での対横浜戦ですー。 たとえどんなに晴れていても関西方面の方は26日は傘を持っていたほうがいいと、もなQは思いますー。
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2004年5月22日 | 本質 | |
えっと。 なんかずっとリンクフリー論やってて、申し訳ないのですケド、個人的な約束があるので、もうちょっと続けますー。 リンクフリーの根拠であるLinks and Law: Mythsが、いかに現実と一致していないかについて書いてきましたー。 実際、Links and Law: Mythsを絶対とするなら、リンクフリーだけでなく、あらゆるアクセス制限を認めてはいけませんし、逆に条件つきで個人情報晒しを認めなければならないのですから。 I may be more valuable to you as a person if I refer you to other people by name, phone number or URL. This doesn't mean I owe those people something. 「私が貴方に他人の名前や電話番号、URLを教えたら、有益かも知れません。私はそのことで相手に何があろうと責任を問われるいわれはありません」 (Links and Law: Mythsより引用・もなみ訳。無制限の個人情報晒しを認めてるように誤読しそうですケド、違いますー。この文章がどういう流れから発生したかを原文で確認して下さいねー。) そもそも何故Links and Law: Mythsが書かれたのか、ということをもう一度思い出してみましょうよー。 当時は無断リンクはネチケットに反するという思想が勢力を増し、その結果約束事が多すぎてWWWが誰でも気楽に参加できなくなり、WWWの発展が妨げられるという危機感が発生し、それがリンクフリーという思想を生んだわけですー。 そして、その思想は受け入れられ、実際にWWWの急激な発展という目的を達成することができましたー。 ところが、あまりに発展しすぎたために、今度はリンクフリーの思想でもってリンクされた側がコミュニティを破壊されてサイトを畳むトカ、プロバイダにデリられるという弊害を生んだわけですー。 しかも、リンクした側がLinks and Law: Mythsから自分にとって都合のよいところだけ引用して自分の行為を正当化し、リンクされたくなければアクセス制限しろというような、Links and Law: Mythsが認めていない行為を語り、さらには覚悟の無い奴は使うな論を展開したり、無断リンク禁止と書いているサイトに嫌がらせリンクして閉鎖に追い込むというような、極めて馬鹿馬鹿しい事態を引き起こしたわけですねー。 もう一度書きますケド、そもそもLinks and Law: Mythsの本来の目的は、WWWが約束事にしばられず、誰でも気楽に参加できるようにすることで、WWWを発展させることにあったわけですよー。 だから、リンクフリーを他人に強制するなんてのはナンセンス以外の何物でもないのですよー。 もなQは、その本来の目的を考えれば、誰でも気楽に参加できなくさせるためのリンクフリーという約束事なんて、百害あって一理なしだということを主張しますー。
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2004年5月21日 | アクセス制限 | |
えっと。 リンクフリー論でよく言われることで、リンクされたくないならアクセス制限かけるなどの自前での対策を取れ、というのがありますー。 これに関しては、以前に選民思想という形で取り上げたことがありますケド、今日は別の形で書きたいと思いますー。 この、リンクする側に配慮を求めずリンクされる側がリンクされない対策を取れという発想は、一見正しそうに見えるのですケド、これって言ってみれば被害に合うのは合うほうが悪い、苛めは苛められる側に原因がある的リクツなんですよねー。 まー、百歩譲ってその主張に正当性があるとしても、じゃあアクセス制限などの技術的仕組みが取れない初心者はどうすればいいのかという問題が残るわけですー。 アクセス制限が自由にできる人って実際どのくらいの割合でいると思ってます? 10人に1人もいないと思いますケド。 気楽にWebPageなんか開くな、一部の選ばれた人だけがWebPageを開けばいいんだ、そういう仕組みが取れない、技術力ない奴は回線切って首吊って死ねとでも言うのでしょうかねー。 でも、そもそも一般人でも簡単にインターネットに参加できて、一般人でも簡単にWebPageを開けるようになったおかげで、一般人が作ったWebPageにリンクできるようになったということを忘れてませんかー。 技術的敷居を設ければ、参加する人の数が減って、WebPageの数も減って、結局リンクできるWebPageも減って・・・自分達で自分達の首を締めてるんですケド。 それでも納得いかないなら・・・。 もなみは絶対的リンクフリーは否定しますケド、原則的リンクフリーは認めていますから、本当は書きたくないのですケド、Tim Berners-Lee様のLinks and Law: Mythsは、あらゆる手段を用いたアクセス制限を全て否定してるんですケド。 ちょっと長いので引用は避けて原文のほうのHall of Flameを読んでいただくとして、TicketmasterがSeattle SidewalkというWebPageへのアクセスを制限しようとした事に対してキチガイだ(crazy)とまで言ってますし、別の事例としてネット上の新聞社の記事に検索サイトがリンクすることを禁じた裁判について糾弾してるんですー。 だから、Links and Law: Mythsを根拠にリンクフリー論を展開するなら、リンクされないための対策は一切認めちゃいけないんですよー。 アクセス過多によってプロバイダにデリられるという現実に対して、リンクした側に責任も無ければ、デリられないようにアクセス制限することも許さないって主張しなければならないんですよー。 Links and Law: Mythsを取り上げてリンクフリー論を展開されておきながら、この問題に関してはアクセス制限しないほうが悪いなんて言っているところを見かけるのが、もなQにはフシギでしかたがありませんー。 #5月26日付記 おけぐわ様からこのパートは法的にリンクフリーを規制する動きに対する反論ではないかという御指摘を受けましたー。 たしかに、そう解釈できそうですー。 そこで、Links and Law: Mythsから別の文章を引用付記いたしますー。 We cannot regard anyone as having the ”right not to be referred to” without completely pulling the rug out from under free speech. (言論の自由への支持を突然完全停止することなしでは、「参照されない権利」を持つなんて見なせない:もなみ訳。ちなみにpulling the rug out from underは「支持を突然取りやめる」という慣用句なんですケド・・・)
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2004年5月20日 | 実は掲載もフリー | |
えっと。 実は前々から聞きたくてしょうがなかったことがありましてー。 それはですねー。 リンクフリーを主張される方々は、ネットランナー誌様による無断掲載についてどう思っているのか、ということなんですー。 もちろん、絶賛ですよね? だって、ネットランナー誌様って、リンクフリーの理想を具現化した雑誌でしょ? サイトは許可取らずに掲載するのって、普通の人から見たらおかしいことだと思いますケド、リンクフリーの立場に立てば、掲載されたことで文句言うのは筋違いですもんねー。 あれはリンクじゃない、掲載だというのなら、無断掲載の問題と無断リンクの問題の違いについて説明してほしいですー。 どちらも道義的問題なわけですし。 あ、これ、誤解されているみたいですケド、一部肖像権違反になりそうな例外を除けばネットランナー誌様による無断掲載に法律的な問題は無いですからねー。 だって、ネットランナー誌様で記載されているのは報道を目的としたサイトの説明という本文であり、その本文の目的上、サイトのスクリーンショットを引用掲載し、出典としてURLを記載することは著作権法第32条で述べられている正当な範囲に収まりますので。 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。 だから、ネットランナー誌様による無断掲載は法律的問題ではなく本質的にはリンクフリーと同じように道義的問題に過ぎないんですー。 じゃなきゃ、とっくに訴えられて潰れてるはずですしー。 もう一度書きますケド。 リンクフリーを主張される方々は、ネットランナー誌様による無断掲載についてどう思ってますかー。 ちなみに、もなQはリンクフリーを選択してますケド、もなみは当然リンクフリー論者じゃありませんので、ネットランナー誌様に対しては名誉毀損にならない範囲で好きなように言えますケド、前にカードにしていただいたという道義的問題によって、できるだけ言及を避けさせていただきますー。
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2004年5月19日 | 拡大解釈 | |
えっと。 リンクフリーの問題について、拡大解釈じゃないか、間違ってるのじゃないか、という御指摘を何件か受けていますー。 まず、拡大解釈じゃないかという指摘に関しては、そのとおりですーw たとえばDon't point to other sites without asking first.のpointをリンクと訳すのは拡大しすぎでしてー。 これって、今風に言うならimgタグで他人のWebPageの画像を貼り付けるみたいな、特殊なリンクの話だったりするのですよー。 じゃあ、間違っているのかどうかなのですケド。 これから書くことは、微妙にヘンケンというか、私的感情入りまくりのため、そういう拡大解釈もある程度に理解して欲しいと、お断りしておきますー。 歴史的背景を追っかけてみますと、1991年に誕生したhtmlは1993年にMosaicが誕生したことで急激に普及し、1994年のNetscape誕生によって、事実上の標準の座を射止めますー。 インターネット利用者台数も、おおよそ1991年50万台、1992年100万台、1993年200万台、1994年400万台と倍々ゲームに増えて行きますー。 もともと学術目的・性善説で成り立っていたインターネットも、利用者数が増えるに従ってフレーミングというか衝突が発生するようになり、無法地帯化しかけていたため、何らかのルールが必要になってきますー。 で、どうにかしてほしいと思ってもW3Cは出来たばっかりですし。 それで、RFCがRUN部会でネチケットというものを策定し、翌年、1995年にRFC1885というのが誕生することになるわけですー。 これからしばらく、RFC1885のpoint解釈によってリンクはフリーではない、というのが一般的とされている時代が続きますー。 ところが1995年にはInternet Explorerが誕生し、1996年には1000万台を突破し、1997年には2500万台に到達するに至って、リンクにいちいち許可を取っていられなくなってくるわけです。 つまり、リンクはフリーじゃないという理想と現実がカイリしだしてきたわけですねー。 で、すっごい閉塞感が漂っている状況になっていたところで、ある有名個人が私的見解を述べますー。 それが、Tim Berners-Lee様のリンクフリー論。 ただ、このリンクフリー論というのは当時としては極論というかバクダン投下に近いものがあり、実際この文章を公開すれば、場合によっては「なに寝ぼけたこと抜かしてるんじゃ、てめぇが作ったWWWの原理が崩れかけてるからって、ぐだぐだ言ってると北極海に沈めるぞ」くらい言われかねない危険性があったわけですw おまけにこれがTim Berners-Lee様個人に対する攻撃で収まればいいのですケド、下手すると発足して2年も経ってないW3Cにも影響があるカモ知れないわけで。 だから、W3Cは関係ないなんてことを、わざわざ書いているわけですー。 ところが、先ほど述べたとおり、リンクに許可取るのはウザイという現実が背景にありましたー。 また、この時代は、まだまだWWWのドキュメントはpublic(公的)であるという認識が高かったということも上げておくべきでしょう。 そういうわけで、このリンクフリー論は極めて好意的に受け止められたわけです(余談ですケド、W3Cは現在、これがあたかも初めから公式見解であったかのように、FAQからリンクフリー論へリンクしていますー。ネットから「デファクト」スタンダードを奪って「俺様」スタンダードにしようとしているように見えるW3Cがフリーを語るなんて、どんな冗談だか知りませんケドね)ー。 何度も書きますケド、1997年当時のWWWが壊れるのではないかという危機感がリンクフリー論を生みました。 参加数も多いとはいえ、まだ2500万台で、まだまだpublic意識があった時代のことです。 あれから7年の月日が経ちました。 接続台数は、10倍に当たる2億5000万台(2004年現在)。 もはやセキュリティだのサーバーの仕組みだのに詳しい一部の選ばれた人だけがpublic(公的)に情報発信するために使うもので無くなり、万人がprivate(私的)に使うツールにまで発展して、アクセス過多によるサーバーダウンやページ削除なども含めて、1997年当時では予測できなかったような問題が発生してきていますー。 つまり、リンクはフリーという理想と現実がカイリしだしてきたわけですねー。 そんな時代だから、pointをリンクはフリーでないと解釈した1996年頃と同じように、リンクフリー論の注釈を「リンクした結果によって生じる問題に対する責任を取らなければならない」と解釈しても構わないのではないか、というのが、もなQの答えになりますー。
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2004年5月18日 | カウンターサイトー | |
えっと。 今日は、カウンターサイトの重要性について話したいと思いますー。 カウンターサイトというのは、もなみが勝手に付けた名前なので説明しますケド「世の中の風潮とは逆のことを言ってみるサイト」とでも思ってくださいー。 たとえば世の中がリンクフリーと言ってるのなら、あえてリンクフリーに反対する意見を出し、世の中がフトウ逮捕と言ってるのなら、あえて正当化してみるサイト。 なぜそんなサイトが重要なのかということなのですケド。 世の中がみんな白だと言っているのを見れば、どうしても白だと思ってしまいますよねー。 そこに黒だという意見があれば、白か黒かを自分で選べますし、白か黒かを自分で調べることだってできます。 つまり、センタクシが増えるのですー。 これって凄く重要なことだと思いませんか? でも、それをやるためには、色々な思想を知っている必要がありますし、色々な視点で物事を見なければなりません。 来年3月末の契約切れ後はどうなるか知りませんケド、幸い、もなQは、環境も住んでる世界も価値観も異なる5人のもなみによって運営されていますー。 だから、一つの問題に対してもなみたちが色々な立場から色々な意見を出すことができますー。 その中には「世の中の風潮とは逆のこと」もありますー。 そのおかげで、もなQはカウンターサイトみたいなことをすることができますー。 もちろん、一人でそれができるよという人もいらっしゃると思いますし、すでにやられている方もいらっしゃるでしょう。 だから、あえてもなみがカウンターサイトをするヒツゼンセイは薄いです。 じゃあ、なんでもなみがそんなことをしようとしているのかなのですケド。 実は単に、もなみ自身の良心の問題だったりします。 それができるのにやらないことは、自分の良心に対する罪だから。 そういうわけで、もなQの意見は主流ではないし、極論だったりしますので、それに流されずセンタクシの一つだと思って見ていただけたらなー、と思いますー。
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2004年5月17日 | 40万ひっとー | |
えっと。 久しぶりにネタ更新ー♪ もなQが、ついに40万ヒット達成しましたー。 40万なんて数字、あまりに実感なさすぎっ! そりゃーもー、一言BBSトカ一言BBSトカ一言BBSトカ色々なところからお祝いを頂きましてー。 たとえばいつもお祝いくださる雛子様。 もなみおねえたま>400000HITおめでとうなのv ドメインが凄すぎるまなみちゃん。 ・もなみ姉さま、40万ひっつ。 おめでとうございますー!ここ数日の更新は法律につよい姉さまといった感じで。 やまとちゃんも みやも同盟のもなみさんが400000hit突破しました。おめでとうございます。 一言BBSを除くとそれ以外には誰も祝ってくれなかったような気がしますケド、きっと、もなみが捕捉しそこなっただけだと信じてますー。 もなQは、とりあえずエルエル姉様をいぢめに行ってきますー。
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