もなみ9歳 〜Lite〜
2005年08月19日 |
鍵屋様の事情 |
えっと。
かーず兄様のところで知ったのですケド、花火の掛け声(たまやーかぎやー)について、こども電話相談室で鍵屋15代目宗家様が答えられてるのですねー。
ところで、文中では玉屋様が鍵屋様の分家というのを強調されてますねー。
これ、質問の内容を考えたら別に書く必要も無いことだと思うのですケド、あえて書いたのには理由がありそうですねー。
そもそも鍵屋様は1659年に創立した花火屋様で、創立者様は鍵屋(篠原)弥兵衛様ですー。
一方の玉屋様は1808年に創立した花火屋様で、文中にあるとおり7代目のときにノレンワケされた玉屋清七様(後に市兵衛様に改名)が創立者様ですー。
そして玉屋鍵屋の掛け声は両国の川開き(現隅田川花火大会)の際に上流で玉屋様、下流で鍵屋様が花火を打ち上げたことから起こったのですケド、人気も実力も玉屋様が圧倒的でしたー。
実際、当時謳われた歌に「橋の上 玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やと いわぬ情なし」というのがあったくらいですー。
余談ですケド、この「情(じょう)なし」は「鍵」に対する「錠」と掛けていますので、なさけなしと読んでしまうと意味不明なので注意をー。
さて、この玉屋鍵屋時代というのは25年しか続きませんでしたー。
というのも、1843年に玉屋様が出火されて家名断絶になってしまったからですー。
ただ、無くなったあとも玉屋という掛け声のほうが鍵屋という掛け声より多かったそうでー。
分家の分際で、しかも一代で終わったくせに掛け声は玉屋のほうが多いという、そのへんの事情が玉屋様は分家ということを強調された理由ではないかと思いますー。
で。
残った鍵屋様はしばらくは続くのですケド、12代目弥兵衛様のときに遊びにハマって花火製造を止めてしまいますー。
そして、細谷花火店様が名前だけ鍵屋様から借りて打ち上げを担当していましたー。
つまり、この時点で鍵屋様は実質花火を作らなくなっており、一度終わっているのですー。
さて、遊びにハマった12代目弥兵衛様は、ついに鍵屋の名前そのものも売ってしまいますー。
それを買ったのが花火打ち上げ専門業者様の天野太道様ー。
このときに名前も鍵屋から宗家花火鍵屋に変更されましたー。
そういうわけで、天野様は12代目以前の鍵屋様とは無関係ですので、本文中で鍵屋様が340年続いているとおっしゃったのは、ウソとは言えないにしても、かなりの誇張じゃないかなーと思うのですケド。
ところで、打ち上げ花火の対極に線香花火というのがあると思いますケド、これの元になった葦花火というのは鍵屋様が作られたという豆知識をもなQは最後に披露しておきますー。
名無し様:相談室の回答も「鍵屋」を先に書いて強調していますね。慶早戦と書かないと書類が受理されないと噂の某大学を思い出します。 kたま:「万世一系」というキャッチコピーを思いでしてしまった(^^;;>鍵屋340年 うし様:そんな花火屋があったとは。お稲荷さんだったのね。 もなみ:旧鍵屋様ですよー。 空き都〜様:盛者必衰の断りと申しましょうか・・・日に日に落ち行く夕日が線香花火の残り火のように紅くなってゆきます。 TT-TT様:勉強になりますぅ。・・・ところで、葦花火を作られたのは旧(?)鍵屋さんでよろしいのですか? 名無し様:他の○代目とかも、名前売り買いの結果の可能性が無くもないのかにゃー。 名無しちゃま:噂には聞いてたけど、くるもな消えちゃったのね・・・一応ゲットー
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