リンク論
リンクしたことでページがプロバイダに消されようと、相手のコミュニティが破壊されようと、リンクした側に責任は無い。 デリられないようにアクセス制限するなんてのも許さない。勝手にデリられてろ。 エロ画像への直リンを弾いてトップページに飛ばし、18歳以上か確認させるところがあるが、キチガイ沙汰だ。エロ画像へ直リンしたことでエロ画像の価値を高めてやってるんだから、それを防いではならない。 2ちゃんねるにはアクセス過多のため、専用ブラウザ以外でのアクセスを制限している板がある。ただちにアクセス制限を解除し、ブラウザでアクセスできるようにしろ。その結果、たとえ2ちゃんねるが無くなろうと知ったことではない。 SPAM対策のためのアクセスフィルタや、検索ロボット弾きを設定することはWWWの原理を破壊する最悪の行為だ。 その他、あらゆる形でのアクセス制限は一切認めない。 なお、私が誰かの個人情報を晒した結果、晒された人がどうなろうと私に責任は無い。 |
2003年3月16日 | 無断リンク | |
最近、無断リンクに関しての議論が盛んに行われているようです。 RFC1855:Netiquette Guidelinesという文章が存在します。 この文章には「- Don't point to other sites without asking first.」という記述があります。 日本語訳するなら、「他サイトにリンクする前は、まず許可を取りましょうね」となります。 もちろん、RFCには拘束力は存在しませんし、誰でも好きなことを勝手に書いてよいことになっています。 その気になれば、あなたが書いた文章も、ノーチェックでRFCになります。 ですから、無断リンクを禁止する根拠にはなりません。 一方、W3CではTim Berners-Lee様が、こんなことを書いています。 「There is no reason to have to ask before making a link to another site」 訳すまでもないと思います。 ところが、その文章の最後には「A reminder this this is personal opinion, not related to W3C or MIT policy」 つまり、W3Cの考えではなく、Lee様の個人的な考えであると書いてあるわけです。 結局、どちらも正式な文章ではないため、法律に頼ることになりますが、現在、無断リンク禁止に法的根拠は存在しません。 ですから、無断リンクを行ったとしても、(法律的には)問題はありません。 ですが、もなQはLee様の「You are responsible for what you say about other people, and their sites, etc., on the web as anywhere」という文章の意味を考える必要があると思います。
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2003年3月22日 | 性善説 | |
今日は、ちょっと真面目なお話です。 無断リンク・ディープリンク問題に関して、新たな展開が起こっているようです。 無断リンク・ディープリンク禁止は法的根拠が無いけれど、「人の嫌がることをしてはならない」という観点から考えると、嫌がってるならやらないほうがいいのでは?という話です。 これは、ある意味不文律であり、常識というものの範疇に含まれると思います。 そして、インターネットというものを考えると、これは実に的を射ています。 なぜ、インターネットではスパムやウィルスが横行しているのか、疑問に思ったことはありませんか? インターネットというのは、(技術的には軍事目的でしたが)基本的には学術目的で発生し「性善説」の世界として誕生しました。 つまり、「誰も悪用しない」という大前提があり、その大前提に従って利用することしか想定していなかったのです。 そして、その大前提があったため、セキュリティというものを意識せずに、いろいろな技術を開発し、展開し、発展させることができたのです。 以前にもなみが引用したLee様の文章も、「リンクをするのに許可を取る必要は無いけれど、リンクしたことに対する責任を取りましょう」というのは「リンクは善意のもとにやりましょうね」ということを意味しているように感じられます。 ところが、人が増え、商用利用が認められるようになると、「性善説」では通用しなくなります。 悪用を考えられていなかったインターネットは、後付けでセキュリティを組み立てます。 でも、元々そういうことを考慮していない世界ですから、砂の上に城を作ろうとしているようなもので、すぐに崩れ落ちるわけです。 インターネットの本来の目的(学術利用)というのは薄れてしまいましたが、その大前提が復活しかかっているという点について、もなQは感慨深いなぁと思ったりして。 (付記:ソースきぼんぬに対して)インターネット性善説はもなみが生まれる前から言われていたことです。 もなみは、そういうものだと思っていたのでソースは無かったのですが、一応これあたりがソースになるかな、と思います。 「性善説」「インターネット」でぐぐってみたら、2000件くらいヒットしましたので、もっと良いのがあるかも知れません。
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2003年6月18日 | リンクされる気をつけ方 | |
えっと。 WWWって、世界中をインターネットで包み込んでしまった世界です。 こんな大きな世界があれば、みんな道に迷っちゃいます。 迷ったときには地図を広げてみます。 その地図が、検索サイト様だったり、個人ニュースサイト様だったり、ポータルサイト様だったりします。 閲覧者様はそういった「地図」サイト様が示す地図を伝って、どこに行けば自分が楽しいかを探します。 そして、地図のとおりに行ってみて、それが自分の思っていたのと違っていたらがっかりです。 もなみもそういうがっかりを何度もしています。 もなQを訪れる方々には、そんながっかりをして欲しくないなーと思っています。 だから、リンクには気をつけています。 リンクすることももちろん、リンクされることもです。 リンクするほうに気をつけるのは簡単ですケド、されるほうに気をつけるのは難しいですよね。 でも、リンクは書いた内容に対して行われるのですから、気をつけることがまったくできないわけではないはずです。 書いた内容に対してリンクされても違和感を感じないようにすること。 それがもなみのリンクされる気をつけ方です。 世の中は予想外のことが多くて、あまりうまく行ってないみたいですケド・・・
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2003年7月27日 | リンクの恐怖 | |
えっと。 一般にVNIサイトの利点として、他のVNI様からのリンクによって、ある程度のアクセス数が稼げると思われているようです。 実際、 もなみはアクセス数至上主義ではありませんケド、とりあえず見てもらわなければ面白いか面白くないかも判断してもらえないわけですから、イチゲン様のアクセス数向上のためにVNIという職業を選択する電子の妖精さんを悪とは思いません。 どんな理由であれ、いらっしゃったイチゲン様がリピーター様になってもらえればいいのですから。 もなみは、ある超大手RO系VNI様からコメントリンクされた途端に急激にアクセス数が増えました。 これには正直言って、恐怖を感じました。 別にそのVNI様がネガティブリンクをされたわけではありませんし、もなみがそのVNI様を恐れているわけでもありません。 もなみは、もなみがそのリンクからいらっしゃったイチゲン様を楽しませる術を持っていないことを知っています。 ですから、そのコメントリンクが終了した後、もなQへのリピーター様となって下さる方は、1%もいらっしゃらないと思います。 恐らく大半の、99%以上のイチゲン様が、二度ともなQを訪れてくださらない方々です。 その方々は、もなQを訪れてどう感じたのでしょうか。 時間の無駄だったと感じてしまうのではないでしょうか。 もなみはたくさんの人の貴重な時間を無駄にさせてしまったのではないでしょうか。 そのことが怖いのです。 もなQは何故だか判りませんケド、悲しいです。
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2003年11月23日 | びっくりんく | |
えっと。 もなみは、たとえリンクフリーであっても、リンクすることに凄く気を使っています。 そして、そのときの基本は、びっくりんくしないことです。 びっくりんくするというのは、リンクによってアクセス数が突然増えることで相手サイト様が驚くことを表します。 もなみの経験からは、普通のサイト様ですと、いつもの2倍になったときにびっくりするようです。 ただ、100増えただけでもびっくりするサイト様もいらっしゃいますし、ニュースサイト様のようにリンク慣れされていて、3倍に増えても気にしないサイト様もいらっしゃいますので、あくまで基本則です。 もなみはこの基本則に従って、リンクするかしないかを決めています。 では、もなみがリンクしたときにどれくらいの人が相手に流れるのでしょうか。 これも経験則なのですケド、10%〜50%のようです。 この%の差はリンクの仕方によるもので、複数のリンクのうちの一つとしてリンクした場合で10%、もな見の中でリンク先をクリックしないと何を書いているのか判らないようなリンクの仕方をして50%くらいです。 もなQが何事もない場合のアクセス数はおよそ600強ですので、かなり強烈なリンクを張ったとしても相手サイト様には300アクセスの増加。 ということは、1日300アクセス以上あるサイト様には何も考えずにリンクしても、びっくりさせることはないということになります。 これはかなりのVNI様がセーフゾーンということです。 それ以下のサイト様の場合はリンクの仕方を変えるトカ、リンクしないで一般論にしちゃうトカ、色々と考えながらリンクしています。 結局リンクされた側が閉鎖しちゃったりしないようにするための配慮なのですケド、根本的な原因はもなQにネガティブなイメージがあるからのような気もー。
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2003年11月24日 | びっくりんく補足 | |
えっと。 昨日の補足ですー。 なんでこんな気の遣い方をするかと言いますと、やっぱりW3CのTim Berners-Lee様の言葉、「You are responsible for what you say about other people, and their sites, etc., on the web as anywhere」、無理矢理意訳するなら「リンクしたことに対する責任を取りましょう」という言葉が重くのしかかっているからなんですねー。 Tim Berners-Lee様といえば、リンクすることになんら制限を感じる必要はないという、完全リンクフリー主義者として有名ですよねー。 もなみは実はW3CもTim Berners-Lee様も嫌いだったりするのですケド、だからこそ、この言葉の重みというものを強く感じるのです。 もなみがリンクしたことでアクセス数が増え、それによって何か影響が出たら、その責任は他の人が何と言おうと、もなみ自身にあります。 もなみは別に相手サイト様を困らせようトカ思ってリンクするわけではなく、面白いサイト様(あるいはその内容)を見つけたので、みんなにも知ってもらいたいトカ、そういう気持ちが基本にあります。 たぶん、これは相手のサイトを潰すためになんちゃら波トカ言っている一部のサイト様を除いては、ニュースサイト様でもなんでも、同じ気持ちだと思います。 ところが、リンクしたことで相手サイト様が困ってしまったら、もなみがリンクした目的は達成できませんし、せっかくのサイト様をつまらないものにしてしまうカモ知れません。 それがもなみには怖いのです。 だから、相手サイト様が本当にネガティブリンクと感じるようでしたらリンクを外しているのです。 検定試験でリンクしなかったのも、ネガティブリンクと思われてびっくりさせたりしないようにという配慮からだったりします。 ただ、リンクしないというのは逆に闇討ちみたいになっちゃうこともあるわけで、そのへんが微妙ですねー。 もなQは、いぢめてるように見えても愛情をもってリンクしてるのですよー・・・。
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2003年11月25日 | リンクと影響力 | |
えっと。 リンクしたことによる影響を恐れすぎているのではないかと思われる方もいらっしゃるようですので、ちょっと説明したいと思いますー。 一言BBSでリンクフリーならリンクされる覚悟がなければならないという意見もありましたしー。 もなみがびっくりんくという考えをもつようになったのは、割と最近のことです。 実は、あるリンクがきっかけで、こんな考えを持つようになったのです。 もなみは、とあるVNI様にリンクしたのですケド言葉が攻撃的な気がしたので他のもなみが修正し、それをまた別のもなみが修正し・・・と修正を繰り返して七度目くらいで満足行く書き方になったのでした。 ところが。 リンクしたサイト様を見たところ、物凄い慌てようで。 修正途中の全ての内容に対して必死に回答を返そうとしていたのです。 そして、そのサイト様は最後には逆切れされてしまっていました。 もなみは凄い罪悪感と自己嫌悪に陥ったわけなのですケド、このときにリンクというものについて深く考え、びっくりんくという考えになったわけです。 今でも、あのサイト様のあのときの必死な反応を思い出すと、もなみはリンクするのに一瞬躊躇します。 そのサイト様がどういうジャンルなのか、どの程度リンク慣れされているのか、1日のアクセス数は幾つなのか。 そんなことを考えながらリンクしなければならないような気がするのです。 それでもときどき、やりすぎだって、もなQ後見人のU兄様に怒られたりするんですケドねー。
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2003年12月14日 | リンクフリーは過去のもの | |
えっと。 前にも書いたとおり、インターネットは性善説を元に作られているわけで、その性善説という大前提が崩壊したのならリンクフリーという大前提も崩壊してしかるべきなのですよー。 リンクフリーという概念は、性善説的にそこに悪意が含まれないという大前提があったからこそ成立していた仕組みだからです。 つまり全てのリンクには悪意が含まれない、しかもそのリンクを辿る行為自体にも悪意が含まれないという前提がなければ、リンクフリーという仕組みは成り立つわけがないのですよー。 そういうことも考えずにリンクフリーやリンク不可を語っていけば破綻するのは当たり前で。 例えばリンクフリーにした場合なら悪意のリンクをもって潰されたり、リンク不可にすればリンクフリー論を持ち出して糾弾して潰されたり。 これを性善説という大前提の破綻と言わずして何と言うのでしょう? もっとも、このような良く判らない問題が発生する最大の理由は、世の中を全て二元論で成り立たせようとするからなんですケドねー。 完全リンクフリーか完全リンク不可かという二者択一を迫るのは現実的でないことは判ってるはずですよー。 極めて現実的な対応としては選択的リンクフリーだと思うのです。 もなQは別に何人に晒されようとあまり気にしないのでリンクフリーとしてありますケド、選択的リンクフリーをリンクする側から考えてびっくりんく論というのを述べています。 だって、真のリンクフリーを唱えるのならば、リンクする行為に制限をかけるようなリンクする側がリンクフリーを放棄する発言も攻撃すべきなのですケド、これは攻撃対象にできないのですから。 もなQは、リンクフリーが崩壊していることに気づいてもらいたいですー。
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2003年12月15日 | 原理主義者の選民思想 | |
えっと。 リンクフリーというウェブの根底をなす(と一般的に思われている)概念は、そもそもインターネットが学術目的で作られていた時代の産物でしたー。 その頃はインターネットに参加する人の数も少なく、また商業もblogもなく、全てが学術目的に作られていた世界でしたー。 つまり、インターネットは(ある意味)一部の選ばれた人たちが性善説を元に利用する物だったのですー。 ですから、リンクすることは当然のように当たり前で、リンクフリーも同様に当然のことでしたー。 ところが、インターネットに参加する人の数が爆発的に増え、非学術目的での使用も当たり前になり、性善説もどこかに置いていかれた代わりに誰もが気軽に参加できる世界になりましたー。 この、「誰もが気軽に参加できる」ということがインターネットの爆発的普及を助けたのですー。 ところが、インターネットは極一部の選ばれた人たちのものであり、あらゆる覚悟が無ければ使用してはならないと考える人たちも未だにいらっしゃいます。 いわばインターネット原理主義なのですケド、それが顕著に現れるのがリンクフリー論です。 前にも書きましたケド、あらゆる人の目にさらされるという覚悟を持ってウェブサイトを運営することが出来る人はとても少ないです。 誰もが数万人の数奇の目に耐えられるわけではないからで、そのためには才能も必要だからですー。 ところがリンクフリー論の方は、全てのサイト運営者がその目に耐えられなければならないと考えています。 もはやインターネットは選ばれた人のものではありません。 もっと気楽に使うことのできるもののはずです。 であれば、リンクにもルールが必要なのは当然です。 リンクフリーが嫌ならパスワードかけるなりなんなりすればいいという人も居ますケド、逆に問いたいです。 リンクフリーでないサイトを開きたいならパスワードをかけられるだけの技術がなければいけないのですか? それが全ての人が当たり前にできる行為だと本気で思っているのですか? それは一部のネットエリートしか運営してはならないという選民思想ではないのですか? リンクフリーという建前によってリンクされて閉鎖するサイトという実際に存在するものに対して、リンクされる覚悟が無いからの一言で切り捨てていいのですか? 閉鎖するサイトが増えればリンクすることもできなくなりますケド、そんなにインターネットでサイトを運営することが一部のネットエリートにしかできなくなるという状況を生みたいのですか? サイトを開く敷居が高くなればサイトそのものの数が減りますケド、それは自分達の首を自分達で絞めているのではないのですか? もなQは、リンクフリーはリンクされる側のモラルではなく、リンクする側のモラルによってしか成り立たないと思っていますし、だからこそリンクについてもう一度考えて欲しいと思いますー。
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2004年1月6日 | 見なければよい論争 | |
えっと。 ネット上の衝突(フレーミング)というのには何故かタイミングがありましてー。 大きな問題が発生すると、その問題が収束に近づくまでは新たな大きな問題は起こらず、収束すると新たな問題が起きるという具合に、常に1つは大きな問題が発生していて、2つは同時に発生していないというフシギな性質があるようですー。 もなみはきっとフレーミング調整委員会みたいなヒミツ結社が存在していて、それがタイミングを調整しているのではないかと疑っているのですケド、そういったフレーミングもネタが尽きているのか、同じネタを手を変え品を変えして繰り返し発生していたりして、なかなか面白かったりしますー。 そういった定番ネタの中に、「嫌なら見なければよい」論争というのがあります。 この論争がいつまで経っても絶えないのは、ケースバイケースで正しい場合とおかしい場合があるからだと思いますので、ちょっと書きたいなーと思いますー。 基本的に「嫌なら見なければよい」は正しいのですケド、これには「他人に迷惑がかからないのであれば」という条件が必要です。 他者に迷惑がかからないなら、何を書こうと、それをどう捉えようと知ったことではないですし、それに対して嫌なら見なければ良いというスタンスを取ることは、なんら問題ではありません。 例えば、シモネタ満載のサイトがあったとして、シモネタが嫌だというのなら見なければよいというのは正しいと思います。 ただ、この手のフレーミングが発生するときは、えてして他人に迷惑がかかっている場合です。 例えば、もなみがある特定団体を誹謗中傷するようなことを書いたとします。 当然、その特定団体の人や支持者は、もなみに対して何か言ってくるでしょう。 もなみがそのことを書きっぱなしにすることで、その団体に対して悪いイメージを抱く危険性があるにも関わらず、それを一切訂正せず、個人サイトなのだから責任なんかない、嫌なら見なければよいというのは通用するのでしょうか? 別に名誉毀損トカ風説の流布のような法律を持ち出さなくても、常識的に考えれば通用しないことは明らかです。 当事者或いは関係者は、嫌だからこそ見て、嫌であることを表明しなければならないのです。 もちろん、公共の福祉に反しない限り発言する自由は認められています。 でも、発言を批判する自由もまた認められているのです。 もなQは、おかしいと指摘してもらえる自由を大切にしたいと思います。
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2004年5月13日 | リンクフリーの問題 | |
えっと。 またぞろリンクの是非についての話題が盛り上がっていたりするみたいでー。 そうすると、必ず引用されるのがW3CのTim Berners-Lee様の文章ー。 There is no reason to have to ask before making a link to another site 「リンクを貼る前にそのことを尋ねる理由は無い(もなみ訳)」 原文はこちらー。 これをもってリンクフリーの根拠にされているようですー。 で、ですねー。 これって、もなみも何度か書いているのですケド、よく引用される割には「リンクは自由」という宣言の後のBut by the same tokenに続いて、敢えて括ってまで強調されている文章を無視されてるのですよねー。 You are responsible for what you say about other people, and their sites, etc., on the web as anywhere 「Web上で述べた人々やサイトに対する責任を取らなければならない(もなみ訳)」 当然ですケド、上のリンクフリーと対になってますので、これは、「リンクした結果によって生じる問題に対する責任を取らなければならない」というふうに解釈すべきだと思いますー。 ですから、リンクしたことによって相手のサイトが重くなったり、迷惑を被ったのであれば、その責任はリンクした側にあるということを、かのTim Berners-Lee様ですら述べているのですよー。 ところで、RFCにリンクフリーを問題視する主張があることはご存じですか? それはRFC1855"Netiquette Guidelines"ですー。 これの4.2.1 General Guidelinesに以下の文章がありますー。 Don't point to other sites without asking first. 「事前許可無く他サイトにポイント(リンク)しない(もなみ訳)」 もちろん、ドキュメントタイプはinformationですし、そもそもRFCに拘束力はありません(ただ、これを言い出すとW3Cの拘束力は?トカ、そもそもTim Berners-Lee様の文章が"A reminder this this is personal opinion, not related to W3C or MIT policy"、つまりW3CやMITのポリシーではなく、個人的見解だと述べている点はどうかという話になりそうですケド)ー。 とはいえ、個人ではなく、IETFのRUN(Responsible Use of the Network)部会によって作成されたガイドラインにおいて、無断リンク禁止と書かれていることは知っておいても良いのではないでしょうかー。 じゃあ、どうすればいいの!ということになるわけなのですケド、もなみは結局、各サイト様がリンクポリシーを明記するしかないのではないかと思うのですよー。 ちなみに、もなQのリンクポリシーはトップページの一番下に書いてあるとおり、リンクフリー、アンリンクフリーですー。
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2004年5月19日 | 拡大解釈 | |
えっと。 リンクフリーの問題について、拡大解釈じゃないか、間違ってるのじゃないか、という御指摘を何件か受けていますー。 まず、拡大解釈じゃないかという指摘に関しては、そのとおりですーw たとえばDon't point to other sites without asking first.のpointをリンクと訳すのは拡大しすぎでしてー。 これって、今風に言うならimgタグで他人のWebPageの画像を貼り付けるみたいな、特殊なリンクの話だったりするのですよー。 じゃあ、間違っているのかどうかなのですケド。 これから書くことは、微妙にヘンケンというか、私的感情入りまくりのため、そういう拡大解釈もある程度に理解して欲しいと、お断りしておきますー。 歴史的背景を追っかけてみますと、1991年に誕生したhtmlは1993年にMosaicが誕生したことで急激に普及し、1994年のNetscape誕生によって、事実上の標準の座を射止めますー。 インターネット利用者台数も、おおよそ1991年50万台、1992年100万台、1993年200万台、1994年400万台と倍々ゲームに増えて行きますー。 もともと学術目的・性善説で成り立っていたインターネットも、利用者数が増えるに従ってフレーミングというか衝突が発生するようになり、無法地帯化しかけていたため、何らかのルールが必要になってきますー。 で、どうにかしてほしいと思ってもW3Cは出来たばっかりですし。 それで、RFCがRUN部会でネチケットというものを策定し、翌年、1995年にRFC1885というのが誕生することになるわけですー。 これからしばらく、RFC1885のpoint解釈によってリンクはフリーではない、というのが一般的とされている時代が続きますー。 ところが1995年にはInternet Explorerが誕生し、1996年には1000万台を突破し、1997年には2500万台に到達するに至って、リンクにいちいち許可を取っていられなくなってくるわけです。 つまり、リンクはフリーじゃないという理想と現実がカイリしだしてきたわけですねー。 で、すっごい閉塞感が漂っている状況になっていたところで、ある有名個人が私的見解を述べますー。 それが、Tim Berners-Lee様のリンクフリー論。 ただ、このリンクフリー論というのは当時としては極論というかバクダン投下に近いものがあり、実際この文章を公開すれば、場合によっては「なに寝ぼけたこと抜かしてるんじゃ、てめぇが作ったWWWの原理が崩れかけてるからって、ぐだぐだ言ってると北極海に沈めるぞ」くらい言われかねない危険性があったわけですw おまけにこれがTim Berners-Lee様個人に対する攻撃で収まればいいのですケド、下手すると発足して2年も経ってないW3Cにも影響があるカモ知れないわけで。 だから、W3Cは関係ないなんてことを、わざわざ書いているわけですー。 ところが、先ほど述べたとおり、リンクに許可取るのはウザイという現実が背景にありましたー。 また、この時代は、まだまだWWWのドキュメントはpublic(公的)であるという認識が高かったということも上げておくべきでしょう。 そういうわけで、このリンクフリー論は極めて好意的に受け止められたわけです(余談ですケド、W3Cは現在、これがあたかも初めから公式見解であったかのように、FAQからリンクフリー論へリンクしていますー。ネットから「デファクト」スタンダードを奪って「俺様」スタンダードにしようとしているように見えるW3Cがフリーを語るなんて、どんな冗談だか知りませんケドね)ー。 何度も書きますケド、1997年当時のWWWが壊れるのではないかという危機感がリンクフリー論を生みました。 参加数も多いとはいえ、まだ2500万台で、まだまだpublic意識があった時代のことです。 あれから7年の月日が経ちました。 接続台数は、10倍に当たる2億5000万台(2004年現在)。 もはやセキュリティだのサーバーの仕組みだのに詳しい一部の選ばれた人だけがpublic(公的)に情報発信するために使うもので無くなり、万人がprivate(私的)に使うツールにまで発展して、アクセス過多によるサーバーダウンやページ削除なども含めて、1997年当時では予測できなかったような問題が発生してきていますー。 つまり、リンクはフリーという理想と現実がカイリしだしてきたわけですねー。 そんな時代だから、pointをリンクはフリーでないと解釈した1996年頃と同じように、リンクフリー論の注釈を「リンクした結果によって生じる問題に対する責任を取らなければならない」と解釈しても構わないのではないか、というのが、もなQの答えになりますー。
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2004年5月20日 | 実は掲載もフリー | |
えっと。 実は前々から聞きたくてしょうがなかったことがありましてー。 それはですねー。 リンクフリーを主張される方々は、ネットランナー誌様による無断掲載についてどう思っているのか、ということなんですー。 もちろん、絶賛ですよね? だって、ネットランナー誌様って、リンクフリーの理想を具現化した雑誌でしょ? サイトは許可取らずに掲載するのって、普通の人から見たらおかしいことだと思いますケド、リンクフリーの立場に立てば、掲載されたことで文句言うのは筋違いですもんねー。 あれはリンクじゃない、掲載だというのなら、無断掲載の問題と無断リンクの問題の違いについて説明してほしいですー。 どちらも道義的問題なわけですし。 あ、これ、誤解されているみたいですケド、一部肖像権違反になりそうな例外を除けばネットランナー誌様による無断掲載に法律的な問題は無いですからねー。 だって、ネットランナー誌様で記載されているのは報道を目的としたサイトの説明という本文であり、その本文の目的上、サイトのスクリーンショットを引用掲載し、出典としてURLを記載することは著作権法第32条で述べられている正当な範囲に収まりますので。 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。 だから、ネットランナー誌様による無断掲載は法律的問題ではなく本質的にはリンクフリーと同じように道義的問題に過ぎないんですー。 じゃなきゃ、とっくに訴えられて潰れてるはずですしー。 もう一度書きますケド。 リンクフリーを主張される方々は、ネットランナー誌様による無断掲載についてどう思ってますかー。 ちなみに、もなQはリンクフリーを選択してますケド、もなみは当然リンクフリー論者じゃありませんので、ネットランナー誌様に対しては名誉毀損にならない範囲で好きなように言えますケド、前にカードにしていただいたという道義的問題によって、できるだけ言及を避けさせていただきますー。 #5月26日補記:おけぐわ兄様から反論を頂きましたので、閲覧者様の選択肢を増やすという意味でもリンクさせていただきますー。 そちらもご覧くださいー。
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2004年5月21日 | アクセス制限 | |
えっと。 リンクフリー論でよく言われることで、リンクされたくないならアクセス制限かけるなどの自前での対策を取れ、というのがありますー。 これに関しては、以前に選民思想という形で取り上げたことがありますケド、今日は別の形で書きたいと思いますー。 この、リンクする側に配慮を求めずリンクされる側がリンクされない対策を取れという発想は、一見正しそうに見えるのですケド、これって言ってみれば被害に合うのは合うほうが悪い、苛めは苛められる側に原因がある的リクツなんですよねー。 まー、百歩譲ってその主張に正当性があるとしても、じゃあアクセス制限などの技術的仕組みが取れない初心者はどうすればいいのかという問題が残るわけですー。 アクセス制限が自由にできる人って実際どのくらいの割合でいると思ってます? 10人に1人もいないと思いますケド。 気楽にWebPageなんか開くな、一部の選ばれた人だけがWebPageを開けばいいんだ、そういう仕組みが取れない、技術力ない奴は回線切って首吊って死ねとでも言うのでしょうかねー。 でも、そもそも一般人でも簡単にインターネットに参加できて、一般人でも簡単にWebPageを開けるようになったおかげで、一般人が作ったWebPageにリンクできるようになったということを忘れてませんかー。 技術的敷居を設ければ、参加する人の数が減って、WebPageの数も減って、結局リンクできるWebPageも減って・・・自分達で自分達の首を締めてるんですケド。 それでも納得いかないなら・・・。 もなみは絶対的リンクフリーは否定しますケド、原則的リンクフリーは認めていますから、本当は書きたくないのですケド、Tim Berners-Lee様のLinks and Law: Mythsは、あらゆる手段を用いたアクセス制限を全て否定してるんですケド。 ちょっと長いので引用は避けて原文のほうのHall of Flameを読んでいただくとして、TicketmasterがSeattle SidewalkというWebPageへのアクセスを制限しようとした事に対してキチガイだ(crazy)とまで言ってますし、別の事例としてネット上の新聞社の記事に検索サイトがリンクすることを禁じた裁判について糾弾してるんですー。 だから、Links and Law: Mythsを根拠にリンクフリー論を展開するなら、リンクされないための対策は一切認めちゃいけないんですよー。 アクセス過多によってプロバイダにデリられるという現実に対して、リンクした側に責任も無ければ、デリられないようにアクセス制限することも許さないって主張しなければならないんですよー。 Links and Law: Mythsを取り上げてリンクフリー論を展開されておきながら、この問題に関してはアクセス制限しないほうが悪いなんて言っているところを見かけるのが、もなQにはフシギでしかたがありませんー。 #5月26日付記 おけぐわ様からこのパートは法的にリンクフリーを規制する動きに対する反論ではないかという御指摘を受けましたー。 たしかに、そう解釈できそうですー。 そこで、Links and Law: Mythsから別の文章を引用付記いたしますー。 We cannot regard anyone as having the ”right not to be referred to” without completely pulling the rug out from under free speech. (言論の自由への支持を突然完全停止することなしでは、「参照されない権利」を持つなんて見なせない:もなみ訳。ちなみにpulling the rug out from underは「支持を突然取りやめる」という慣用句なんですケド・・・)
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2004年5月22日 | 本質 | |
えっと。 なんかずっとリンクフリー論やってて、申し訳ないのですケド、個人的な約束があるので、もうちょっと続けますー。 リンクフリーの根拠であるLinks and Law: Mythsが、いかに現実と一致していないかについて書いてきましたー。 実際、Links and Law: Mythsを絶対とするなら、リンクフリーだけでなく、あらゆるアクセス制限を認めてはいけませんし、逆に条件つきで個人情報晒しを認めなければならないのですから。 I may be more valuable to you as a person if I refer you to other people by name, phone number or URL. This doesn't mean I owe those people something. 「私が貴方に他人の名前や電話番号、URLを教えたら、有益かも知れません。私はそのことで相手に何があろうと責任を問われるいわれはありません」 (Links and Law: Mythsより引用・もなみ訳。無制限の個人情報晒しを認めてるように誤読しそうですケド、違いますー。この文章がどういう流れから発生したかを原文で確認して下さいねー。) そもそも何故Links and Law: Mythsが書かれたのか、ということをもう一度思い出してみましょうよー。 当時は無断リンクはネチケットに反するという思想が勢力を増し、その結果約束事が多すぎてWWWが誰でも気楽に参加できなくなり、WWWの発展が妨げられるという危機感が発生し、それがリンクフリーという思想を生んだわけですー。 そして、その思想は受け入れられ、実際にWWWの急激な発展という目的を達成することができましたー。 ところが、あまりに発展しすぎたために、今度はリンクフリーの思想でもってリンクされた側がコミュニティを破壊されてサイトを畳むトカ、プロバイダにデリられるという弊害を生んだわけですー。 しかも、リンクした側がLinks and Law: Mythsから自分にとって都合のよいところだけ引用して自分の行為を正当化し、リンクされたくなければアクセス制限しろというような、Links and Law: Mythsが認めていない行為を語り、さらには覚悟の無い奴は使うな論を展開したり、無断リンク禁止と書いているサイトに嫌がらせリンクして閉鎖に追い込むというような、極めて馬鹿馬鹿しい事態を引き起こしたわけですねー。 もう一度書きますケド、そもそもLinks and Law: Mythsの本来の目的は、WWWが約束事にしばられず、誰でも気楽に参加できるようにすることで、WWWを発展させることにあったわけですよー。 だから、リンクフリーを他人に強制するなんてのはナンセンス以外の何物でもないのですよー。 もなQは、その本来の目的を考えれば、誰でも気楽に参加できなくさせるためのリンクフリーという約束事なんて、百害あって一理なしだということを主張しますー。
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2004年5月24日 | 共存 | |
えっと。 リンク論を検証してくださる方がいらっしゃるみたいなので、今日明日と、ちょっと駆け足で結論みたいなものでも書いて終わらせようかと思いますー。 もなみは、Links and Law: Mythsを根拠とする絶対的リンクフリー論によって、無断リンク禁止サイトを攻撃したり、無断リンク禁止サイトにわざとリンクして相手を破壊するような行為がおかしいことを書きつづけてきたわけなのですケド。 他人にそれを強要しない限りリンクフリーという考え方そのものは否定していませんし、WWWの仕組みを考えれば、原則はリンクフリーであるべきだと思っていますー。 だからこそ、もなQぽぉたるはリンクフリーを選択しているのですし。 ただ、同時にWWWの現状や今後を考えれば無断リンク禁止やアクセス制限も認めるべきだと言っているわけですー。 そもそも無断リンク禁止と言ってるサイトは別に他人に害を与えているわけではないわけですし、無理矢理リンクフリーを他人に強制したって、良いことなんかないんですから。 それに、リンクフリーと無断リンク禁止は共存できるはずなんですよー。 じゃあ、具体的にどうすればリンクフリーと無断リンク禁止を共存させられるかですケド。 たった2つのルールで済むと思うのですー。 基本的にサイトはリンクフリーとしてリンクして構わない。 ただし明示的にリンクを制限している場合だけはリンクしない。 もちろん、世の中にはミスというものがあるわけですから、明示的にリンクを制限していても、間違えてリンクされてしまう場合もあるでしょう。 また、何も書いてないのでリンクしてみたら、相手のコミュニティが破壊されたり、プロバイダにデリられてしまったということもあるでしょう。 その場合は、気づいた段階でリンクを切り、かつリンクしてしまったことに対して相手に謝まればいいと思うのですよー。 もちろんリンクした側も後味の悪い思いや辛い思いをしていることは判ってますケド、そもそもリンクしたことが原因なのですから、こういう不幸な事故が起こったときは、自分にとって都合の良い一部だけをLinks and Law: Mythsから取り上げてインターネットはリンクフリーだなんて開き直ったりせずに、ちゃんと謝ればいいんですよー。 じゃないと、リンクフリーを盾にネガティブアクセスなんちゃらトカ言って相手のコミュニティなりサイトなりを破壊する目的でリンクしたのと同じになっちゃいますよー。 謝っても許してもらえなくても逆ギレしたりせずに、何度でも謝ればいいんですー。 自分の良心にかけて、手を尽くしたと思うまで。 リンクされた側も、初めから相手のコミュニティを破壊しようトカ、アクセス集めてプロバイダにWebPageをデリらせようとしてリンクするというケースの場合は大いに怒るべきですー。 でも、そういう極めて特殊な例外を除いては、貴方のWebPageの楽しさをみんなで分かち合おうという好意の結果、不幸なことになってしまったのですから、相手のミスをいつまでも責めたりせずに、謝ったなら許してあげましょうよー。 そうやって、お互いが歩み寄れば、リンクフリーと無断リンク禁止は共存できるでしょ? もなQは、インターネットはリンクする側のものでもリンクされる側のものでもなく、両方のものだと思いますから、リンクする側もされる側も気持ちよく使い続けられるような世界にすべきだと思いますー。
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2004年5月25日 | 黒幕 | |
えっと。 ここのところ、ずっと長文でリンク論トカやってたりしたのですケド。 今回のリンク論には、実は黒幕が居ましてー。 もなみのメル友のまーくんに煽られてたのですよーw まーくんというのは、生粋のアメリカ人だったりするのですケド、かなりの ・・・これだけでも、どんな そもそも、まーくんが、もなみにキョーミを持ったのは11月24日のもな見で、Links and Law: Mythsを拡大解釈したことから始まったらしいのですよー。 それで、あれは拡大解釈であり、その論法でLinks and Law: Mythsを使うべきではない、拡大解釈しなくてもLinks and Law: Mythsは破綻していることを証明すればいいなんてことを教えてくれたわけでー。 まーくんいわく、日本の個人日記サイト(注:まーくんがun-publicと呼んでいるモノを、もなみが意訳したものです)は世界の最先端を突っ走り、その質・量とも追随を許していないそうでー。 個人サイト自体はアメリカでも前からあったのですケド、大部分はニュースにリンクしてコメントする個人ニュースサイトに近いものだったわけで、いわゆる個人日記サイトに限ってはほとんどなく、その質も量も圧倒的に日本の方が多い、と。 で、近年のblogブームで、そういう個人日記サイトというのがアメリカでも増えてますし、衝突も発生し、当然そこにはリンクの是非についても色々と問題になるだろう、と(このへん、もなみの訳がイマイチでニュアンスが伝わりきれなかったらごめんなさい)そういう予想をされてましてー。 そのとき、リンクフリーをベースにしつつも「和」というキーワードを持った新しいリンク論が誕生するだろう、そして、それは残念ながらアメリカではなく個人日記サイト大国である日本から誕生するだろう、というのですよー。 リアルに問題ケースを大量蓄積できる日本の個人日記サイトコミュニティから、リンク絶対許可制論でもリンク絶対フリー論でもない、第三のリンク論が誕生するって可能性。 なんか、わくわくしませんか? ただ、もなみ自身はこの意見に関しては、かなりカイギテキだったりしたのですよー。 なぜって、今の日本の状況ってば、そのせいで実際に色々な問題が発生しているにも関わらず疑いもせずにリンクフリーを念仏のように唱えてるだけに見えたから。 もなみが新しいリンク論を作れればいいのですケド、どっちかっていうと和を乱して掻き混ぜるほうなので、まーくんにも初めっからオマエには期待してないトカ言われちゃってて。 じゃあ、せめてLinks and Law: Mythsを拡大解釈しないと、こんなトンデモ文章なんだよーということを示して、絶対的リンクフリー主義に楔だけでも打ち込んでみましょー、ということで、まーくんからネタ貰ったりしながら書いたのが、ここのところのリンク論だったのですねー。 いくら原文や訳文を提示して、おかしいことを説明してもちょっと前だったらLinks and Law: Mythsに従ってリンクフリーは絶対だトカ言う人たちから袋叩きにされていたわけでー。 ところが実際はそうならなかったわけでー。 これって現実的ではない絶対的リンクフリー主義な人たちが減って、第三のリンク論が誕生できるだけの下地がととのった状況ということなわけでー。 そういうわけで、もなQは新しいリンク論が誕生するのを楽しみにしていますー。
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