2002/09/18
きつい話1
私の喋り方や言動は人にきついという印象を与えるようです。というか、与えます。よく、直せと言われることがありますが、私には直すつもりはありません。何故なら、判っていてきつい言い方をしているからです。
そもそもの始まりは、私が15歳のとき、とある事情から自分の過去を振り返る羽目になり、そのときに人から言われたことで覚えていることや後悔していることをピックアップするという作業をしていたときのことでした。このときに気づいたのですが、「優しい言葉」というのは、案外記憶に残っていないものなのですね。私が覚えていたのは、怒られたときの言葉や辛らつな言葉ばかりでした。これは何故なのだろうか、と自問自答して気づいたのです。叱るとか、辛らつな言葉を吐くというのは、言われたときは確かに腹も立ちますが、のちのちまで自分の中に残り、自分の糧になっていたということに。そして「優しい言葉というオブラートに包んで本質を隠すことは、相手に対して誠意の無い態度だ」ということに。逆に言うなら辛らつな言葉には相手に対する誠意が存在しているということです。何故なら、これらの言葉を発すれば、相手に嫌われるかも知れませんし、恨まれるかも知れないからです。人は誰でも、相手から良く見られたいと思っていますし、相手に嫌われたくないと思っています。だから、本当に伝えなければならないことを、相手に嫌われたくないという自己都合のために発せず、優しい言葉という、本質をごまかしたものを使います。にも関わらず、辛らつな言葉が発せられた裏には、そこに自分が相手に嫌われたり、恨まれたりしてでも言わなければならないという覚悟が存在しているのです。そこまでの覚悟をもって発せられた言葉だからこそ、私は何年経っても覚えていたわけです。相手のことを思いやっているからと自分を誤魔化し、相手を誤魔化しながら発する優しい言葉の根底にあるのは、単に自分が嫌われたくないという自己愛にすぎないのです。
続きます。


 

Topへ