2002/07/11
しなやかに辞職の話2
続きです。
支持は総選挙を行っても多数派になることができない程度にしか県民の支持を得ていない主張だということ。信用は彼が県民を信用しておらず、いつ手のひらを返されるか判らないと思っていること。スキャンダルは、彼に致命的なスキャンダルが存在しており、長期戦になると、そのスキャンダルを攻撃対象にされる危険があること。真相がどれかは判りません。ただ、知事という立場を守るため、県民不在の個人的な問題によって辞職という手段を選んだということだけが判ります。また、私は彼の辞職会見にも大いに疑問を持ちます。彼に対する不信任案は彼の政治的主張である「脱ダム宣言」に対して、脱ダム後の別案が提示されなかったことによるものです。つまり、彼の政治的主張が否定されたのですが、彼は記者会見では「自分の全人格を否定された」と述べました。自分の政治的主張が受け入れられなかったことが、どうして人格否定になるのでしょうか?これは単に「議会がかわいそうな私を苛めている」という図式を作るためのパフォーマンスにすぎないことは明らかです。もちろん、政治家には民衆に訴えかけることのできるパフォーマーである必要はありますが、それがあまりに露骨で、しかもすぐにボロが出るような嘘では、パフォーマーとしても失格の烙印を押さざるを得ません。しかも、今回のような嘘は相手側に攻撃手段と口実を与えるだけであり、百害あって一利なしです。また、彼のこのような言動は相手に謂れのない不名誉を着せることになりますから、その態度を硬直させ、意固地にさせるだけです。これは田中真紀子元外相がやってしまった失敗と同じ失敗です。
かといって、反対派が県民のことを考えているかと言われると、はなはだ疑問なんですよね。こちらも県民のためというよりは利権のためというのが見え見えですから。もし、今回の件で最大の不幸は何かと問われれば、このような議会と知事を選んでしまったことと、この程度の人材しか居ない県だということでしょうね。
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