2002/04/27
分散コンピューティングの話4
続きです。
以前の分散コンピューティングは各サーバが各機能を専門的(静的)に行っていたのですが、今の分散コンピューティングは、その状況に応じて機能が変化するのです。これによって、今までの分散コンピューティングの問題の一つであったマシンの能力の無駄も発生しなくなりました(時間によって忙しい機能を複数で分担したり、暇な機能は一台で処理したりとフレキシブルに実行できるため)。変な例えですが、これは実際の開発プロジェクトに似ています。あるシステムを開発するのに、それぞれの専門家を集めて専門分野を割り振るという開発手法は以前の分散コンピューティングそのものです。しかし、このような開発手法では、忙しい人と暇な人が出来、しかもなまじっか専門的なため暇な人が忙しい人を手伝うこともできないというジレンマが発生します。なんでもそこそこにできる人間が集まってシステムを開発すれば、忙しい機能に人を割り振ることで、ジレンマも発生しません。これがグリッドコンピューティングに当たります。このグリッドコンピューティングを最初に一般化したのはSETIと言ってよいでしょう(暗号解析のほうが先だが知名度でSETIにかなわない)。SETIの目的はともかく、その手法は高く評価すべきです。クライアントとサーバの間で性能差が無くなり、クライアントとサーバ間のネットワークがボトルネックになるなら、クライアント側に余剰能力が発生します。逆にP2Pのような非クライアントサーバモデルの場合は、相手と自分の性能格差がそのまま余剰能力となります。どちらの性能も高ければ、同じようにネットワークがボトルネックとなり、両方に余剰能力が発生します。であれば、その余剰能力を集めれば凄い能力になるのは道理です。言われれば当たり前ですが、コロンブスの卵的発想だと思います。その後UIなどでこのような新しいグリッドコンピューティング手法が次々と編み出されてきました。しかし、私は手放しでは喜べないと思います。
続きます。


 

Topへ