2002/01/18
納豆の話3
続きです。
さて、国産の「クキ」は少なくとも西暦746年には確実に作られていました。というのも「武蔵国秩父郡大贄クキ一斗天平十八年十一月」という木簡が発見されているからです。さて、度々登場している「クキ」という物体の製造法についてちょっと述べましょう。「クキ」には二種類あり、塩を使う「塩シ(エンシ)」と塩を使わない「淡シ(タンシ)」があります。「塩シ」の製法から。まず豆を煮たものを広げて、炒った大麦や小麦の粉をまぶして、土室に入れて麹をつくります。この麹を丸三日間、日干しにします。そして煮詰めた塩水の中にこれを入れてかき混ぜて蓋をして重石を載せます。一月ほどだったら蓋を取ってしゃもじで攪拌します。最後に生姜や山椒のような薬味を入れて出来あがりです。かなり手間がかかりますが、「淡シ」のほうはもっと大変です。まず、水に浸けた黒大豆を蒸し煮にします。これをムシロに広げてある程度冷ましたら、藁をかけて表面に黄色いカビが生えるまで放置します。カビが生えたら日光に晒して水に浸し、かめに入れ、桑の葉で蓋をして、密封のために泥を塗って七日ほど日光に晒します。これを取り出して日に干して水でかきまわしてまたかめにいれ・・・というのを七回繰り返したら、蒸して広げて冷ますと完成です。ちなみに「淡シ」を得るには大豆一石六斗六升七合に海藻四斤八両を用いて、やっと一石分できるらしいです(「延喜式」より)。さて、「糸引納豆」発生に関しては諸説ありますが、根拠の乏しすぎる煮豆放置説を除くと、一つの大きな説としては「淡シ製造過程説」というのがあります。「淡シ」の作り方の途中で、藁をかけて表面に黄色いカビが生えるまで放置、というのがありますが、このときに藁に含まれる納豆菌のおかげで「淡シ」にならず、「糸引納豆」となった可能性は極めて高いと言えるでしょう。「淡シ」の作り手であった庶民の「糸引納豆」を貴族である藤原明衡が「奇妙」としたと考えれば、少なくとも矛盾はしません。
続きます。


 

Topへ