2001/10/07
紅茶の歴史の話2
日本での紅茶の歴史というのを調べるとこれがなかなか難しく、とりあえず初めて正式に紅茶を飲んだのはおそらく大黒屋光太夫という、江戸時代の木綿商と言われています。
大黒屋光太夫は嵐で遭難してロシアのアリューシャンなる場所に漂着します。そこで彼は捕らえられ、ペテルブルグまで行き、当時のロシアの女帝、エカテリーナ二世に謁見することになるのですが、このときにカテリーナ二世に茶会に誘われて紅茶を飲んだという記録が残っているのです。そこからその日、11月1日は日本では紅茶の日と定められています。日本で紅茶が一般的に飲まれるようになったのは明治時代になります。このときに入ってきた紅茶はイギリスの「帝国紅茶」です。さて、紅茶と緑茶の違いは発酵させるかさせないかの違いですから日本でも紅茶は作れるはずだ、と考えるのも当然です。紅茶が主に乾燥した高原で取れていることを考えれば、多湿で平野の多い日本で美味しい紅茶が作れるわけがないことぐらいは明らかなのですが・・・。そういうわけで、明治時代には数多くの民間人が紅茶を作ろうとし、実際に売り出したものもあったのですが、結局美味しい紅茶を作ることはかないませんでした。紅茶を作ろうとしたのは個人だけではありません。明治政府もまたそうです。明治政府は外交の際に紅茶を出されることが多かったため国産茶葉から紅茶を作ろうとしました。そのためにわざわざ紅茶伝習所なるものまで作り、インドに留学生を送ったりもしました。ところが既に述べたように日本の土壌は紅茶に適さず、美味しい紅茶を作ることは結局出来ませんでした。それでも明治政府は国産紅茶を作ろうと色々と思考錯誤したのですがイギリスの「帝国紅茶」が入ってくるようになると、そのあまりの品質の差にやる気を失って一気に国産紅茶の芽は消えてしまったのです。このときのイメージがよほど強かったのか、日本では近くに美味しい紅茶の産地があるにもかかわらず、わざわざ一度イギリスに行って帰ってきた古くて味も香りも抜けた紅茶をありがたがって飲むようになるのです。
明日は紅茶のおいしさについて書きます。


 

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