2001/07/11
寿限無の話
寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末(水行末風来末雲行末の場合も)食う寝る所に住む所薮ら柑子ぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーポンポコナー長久命の長助という長い台詞。知らない人はいないでしょう、落語の寿限無です。この寿限無という落語は本来は新米落語家の喋りの教育のために使われる落語のため、高座でお目にかかることはありません。
さすがにこの長い名前をきちんと説明できる人は落語経験者だけでしょうから説明しますが、寿限無は無量寿経というお経の中に無量寿という言葉があり、これは計り知れない寿命という意味なんですが、無量寿ではさすがになんなのでこれを寿限無とし、五劫の擦り切れはちょっと難しいですが十里四方ある巨大な岩を三千年に一度天女が羽衣で擦り、それを繰り返して岩が擦りきれた状態を一劫と言います。これが五回あるわけですから、無限の時を表します。海砂利水魚は本来は海砂利と水魚の二つの言葉で、海にある砂利も水に住む魚もその数は数え切れないことから無限を表します。水行末雲来(行)末風来末は水の行く末、雲の来る末、風の来る(行く)末で、やはり果てしないことを示しています。食う寝るところに住むところは生きていくのに必要ですし、またこれも果てしなく必要です。薮ら柑子ぶら柑子は百両金を表す印として用いられる、非常に丈夫で長持ちする木の名前です。その後のパイポというのは国の名前でその国のシューリンガンという王様が長生きしたと伝えられ、その奥さんのグーリンダイも長生きして、おまけにその娘のポンポコピーおよびポンポコナーも長生きしたという話。長及命は読んで字のごとく、長く久しい命という意味です。長助も同様。
この話の落ちはせっかく長生きしようとつけた名前なのに井戸に落ちて大変だといって騒いでいるうちに溺れ死んでしまったというブラックなものなのですが、関西では井戸が川に変わっています。関東と関西の文化の違いはこんなところにも出ているようです。


 

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