2001/01/15
懐疑主義の話
よく言われる言葉に「信じられないと嘆くよりも信じて泣くほうがいい」なんてのがあります。そんな歌詞もありますし、この言葉は耳に心地よいですが、これは進歩というものを捨てる言葉です。
私も科学者の端くれですが、科学の進歩にはとりあえず疑う事、というのが大事です(これを懐疑主義といいます)。そもそも、この文章を見ているコンピュータで使われている半導体というものの成立を考えても、初めに経験的物理学があり、それを疑ったニュートンが古典物理学を作り、古典物理学を疑ったアインシュタインが相対性理論を作り、相対性理論を疑った科学者達が量子学を作ったからこそ作ることが出来たのです。経験的物理学を信じて疑わなければニュートンは万有引力を発見する事ができませんでしたし、古典物理学を信じて疑わなければアインシュタインは相対性理論を作る事ができなかったわけで、疑うということがどれだけ大切なことなのかがわかるでしょう。しかし、懐疑主義は耳に心地よくはありません。なぜなら物事を疑ってかかるというのは非常に困難なことであり、ある物事が真実かそうでないかを調べ上げるには途方もない知識と努力が必要です。信じて疑わないほうがはるかに楽なのは言うまでもなく、また、資本論的な言い方をするなら、搾取する側にとってこれほど都合の良いことはない(搾取することの正当性を疑われないのですから)のです。よって、支配者・被支配者の関係から考えても信じて疑わないことを正当化する必要があり、そのためには、信じて疑わないことが良いことであるという風潮を作ることがもっとも手っ取り早いのです。怪しい宗教にはまるのもこの信じて疑わないという行為のためであり、懐疑主義者はこの手の宗教にはまることはありません。
信じず疑うを貫き通すというのは上記の通り非常に都合が悪い思想であるため、悪いことという風潮があり、このことが科学の発展や進歩に対して大きなブレーキになっています。かといって非懐疑主義の教育を受けている人にいきなり懐疑的になれと言ってもできるものではありませんから、とりあえずはテーブルトークに懐疑の心を持って読んでください。


 

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