2000/03/03
秋葉原の話
昨日、会社を休んで秋葉原に行ってきました。いいですね、秋葉原は。
秋葉原大好きです。実は私は20年も前から秋葉原をうろうろしていました。20年前といえばNECの往年の名機PC8001が出たか出なかったかという頃です。元々は電子模型系から入ったハンダゴテ少年だった私は、ラジオ会館にあるBitInnというNECのモデルショップが自由にパソコンを触らせてくれるというので、パソコンとはなんじゃらほい、という気持ちで触れて衝撃を受けたのでした。この箱には無限の可能性があるに違いない。そう信じていたころがあります。そのうちラジオの製作(通称ラ製)に別冊としてマイコンベーシックマガジンなる雑誌が出るようになり、そこにベーシック言語という、今のビジュアルベーシックの元になったような言語で書かれたプログラムが出ており、それを土日になると秋葉原に持ち込んでは手打ちして遊び・・・。この少し後に、もう正式な店名は忘れたのですがリンゴ屋と呼んでいたアップルII(マッキントッシュの前身)専門のお店でウィザードリィなるゲームが店頭に出ていて、当時小学生だった私はその界隈では珍しい存在でした(リンゴ屋に来るのはせいぜい高校生以上、ほとんどが社会人でした)ので、これまたちょっとだけ遊ばせてもらったりして、そのときにたまたまリンゴ屋に遊びに来ていた大学生にウィザードリィの元になったゲームがあるんだけれど、やってみないか、なんて誘われてTRPGの世界に入ったりしたんです。そういうわけで、私にとって秋葉原は思い出の多い町で、店名も知らないようなジャンク屋の親父と仲良くなって値引いてもらったり、そのジャンク屋がしばらく行かない間につぶれてなくなっていたり、私の草の根での師匠がジャンク屋(くず屋うさぎ堂)の店員していてびっくりしたり、その後その店も潰れてがっかりしたり。BitInnがパソコンを触らせてくれなくなってから同じNEC系列の店で時間制限はありましたがパソコンを自由に使わせてくれるお店に行っていました。最後のほうは顔パスでしたね。そこも今はありません。なんかNECのカルチャーセンターみたいなお店になっています。きれいなお姉さんのいる良い店だったのに。潰れたといえば、秋になるとさんまを食べに行っていた回転寿司屋(さんまの握り寿司が出るんです)も潰れてパーツ屋になっていました。うーん。秋葉原というのは実に移り変わりの激しい町です。明日は私の秋葉原巡回ルートでも書こうかと思います。


 

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